FAR-OUT ~日本脱出できるかな?~

旅のこととか、旅に関する本のこととか。

藤原正彦『遙かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』|読書旅vol.76

三笘薫選手のプレミアリーグ・デビューを祝して、引き続き舞台はイングランドです。『ロンドン生活はじめ! 50歳からの家づくりと仕事』の次は、『遙かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』(1991年/新潮文庫)を選んでみました。

ちなみに、三笘選手の移籍先はブライトン。前回がロンドンで、今回がケンブリッジだと、どんどん港町ブライトンから離れてしまいますが、細かいことは気にせず進めましょう。

 

数学嫌いでも楽しめる一冊

タイトルから窺える通り、本書は数学者によるケンブリッジ大学での武者修行記録です。恥ずかしながら、数学はおろか算数の時点で脱落した私は、こういう機会でもない限り表題を見た時点で敬遠していたと思います。著者である藤原正彦さんのお名前も存じ上げませんでした。

藤原さんのWikipediaで、専門は数論、特に不定方程式論と知ったところで、〈はて、数論? 不定方程式論とは?〉みたいな感じ。だけど、そんな私が読んでもめちゃくちゃ楽しめました。

文部省(現・文部科学省)の長期在外研究員として著者がケンブリッジ大学に赴いたのは1987年。奥様と幼いお子さん3人を連れての渡英です。

ケンブリッジ大学を選んだのは、そこが、私の専門の数論において、世界の一大中心地として、長く君臨してきた場所だったからである。今世紀に限っても、ハーディ、リトルウッド、モーデル、ダヴェンポート、キャッセルス、スウィナートンダイアー、ベイカーといった夢のような人々が、ここで数論の教授を勤めた。私にとっては、昔この大学で活躍した、エラスムス、ミルトン、ニュートンバイロンダーウィンに遡らなくとも、いわばこの世で最もロマンチックな場所であった。(中略)一度は訪れて、空気を呼吸したい場所であった。

ニュートンダーウィン以外はほぼ知らない……という私の無知ぶりは置いといて、〈この世で最もロマンチックな場所〉と表現するほど、ケンブリッジは著者にとって憧れの地であったにもかかわらず、かなりページを進めるまで反英感情を剥き出しにしているのが凄いです。

毎度のことだが、私は外国に出ると途端に熱烈な愛国者になる。日本にいる時は、日本や日本人の悪口ばかり言っているのに、国外に出るや、一切の批判を許せなくなる。昭和天皇のことをヒロヒトなどと呼ばれるだけで、たとえ相手に軽侮の気持ちはなくとも、ひどく苛立ってしまうのである。外国で暮らすということは、日本を常に、そして過剰に意識することである。

 

排他的な紳士の国?

ケンブリッジ大学で学ぶ15年前に、ミシガン大学でも研究をされていた藤原さんは、肌で感じた英米の違いや、イギリス人がアメリカ人やアメリカ文化をどう見ているのかなども事細かに紹介。

ハンバーガーはアメリカのものだからjunk food(くずのような食物)である。アメリカンフットボールや野球は、ラグビークリケットの堕落した姿だし、アメリカ人の好むジョギングよりは、イギリス人の好む庭仕事の方が、はるかに上等なスポーツである。英文学をアメリカ人は好んで読むが、米文学はイギリスではほとんど読まれない。アメリカ的というのは、この国では下等とほぼ同義である。

嫌味全開な文章に驚きつつ、アメリカ英語を話す藤原さんは、周囲からあからさまにバカにされるシーンもしばしば。そりゃ、怒りも湧いてきますかね。

自慢過信を嫌い、目に見える努力を笑い、皮肉・風刺・自嘲を含んだユーモアを大事にするイギリス人。伝統を重んじる紳士の国イギリス(特にイングランド)の昔ながらのイメージって、確かにこんな感じだよな~と思いました。

 

社会に根深く残るレイシズム

さて、ハイライトだらけの本文中でも、とりわけ藤原さんの次男・彦次郎君が学校でいじめを受けた時のエピソードには、胸が締め付けられそうになりました。

言葉の壁からクラスメートと意思疎通が図れず、それが発端となって当時5歳の彦次郎君は、学年でも有名な悪ガキたちから一方的に暴力を振るわれるように。

それを知った藤原さんは、「けしからん。藤原家はこう見えても、諏訪高島藩の武士だ。イギリスのガキになめられてたまるか。武士の子は名誉のために命をかけて戦うものだ」と憤慨

学長に相談するべきだと言う奥様の意見を無視して、「なぐられたら直ちになぐり返すのだ」と彦次郎君に喧嘩のテクニックを指南します。

私個人はこういう考え方が嫌いじゃない派です。ただ、この時は藤原さんの策が失敗に終わり、彦次郎君はますます心を閉ざしていじめも徐々にエスカレート

事態の重大さに気付いた藤原さんは学校に乗り込むのと前後し、クラスメート(主犯格を除いた喧嘩の強そうな子)を次々と自宅に招待します。

そこで彦次郎君と打ち解けたのが、ガーナ人の父ユダヤ人の母を持つシモン君。彼もまたクラスで唯一の黒人という理由から、過去にいじめを受けていたとか。

子どもたちの世界にまでレイシズムが浸透している非情な現実。現在は改善されているだろうと思いきや、ニューズウィークで「2016年に国民投票ブレグジットが決定してから、イギリスでこどもへの人種に基づくいじめや虐待が急増している」との記事を見つけ、何とも言えない気持ちになりました(※詳しくはこちら)。

なお、学校に赴いた日の夜、藤原さんは彦次郎君に以下の言葉を掛けます。

パパが悪かった。いじめられる度に、闘え闘えと言い続けたのは、パパの間違いだ。弱虫と罵ったのも間違いだった。ここに謝る。(中略)これからはパパが守ってやる。何が起きても守ってやるからな。

ネタバレっぽくなってしまってゴメンナサイ。私の涙腺は大崩壊です。子どもの教育方針に限らず、藤原さんはちょっぴり昔気質なところがあって、でも頑固一徹じゃなく、自分の非を素直に認める器のデカさも備えた方だとお見受けしました。カッコイイです。痺れます。

 

結局は同じ人間

こうして彦次郎君の問題も落ち着き、平穏な日々を取り戻した藤原家。本書も緩やかにフィナーレへと向かっていきます。当初の反英感情も気付けば雲散霧消

イギリス人は冷たくない、と感ずるには時間が少々かかる。「結局は同じ人間」という事実の確認に手間がかかるのである。頭で理解することと、五感で納得することとはかなりの隔たりがある。山高帽にこうもり傘というステロタイプが虚像であり、家で奥さんの小言を耳半分で聞き流しながら、庭仕事に精を出したり、子供を肩車している父親が、実像ということを知るのに半年ほどかかるのである。

頭の中で作り上げた虚像を捨て、実像を掴んだうえで、藤原さんがイギリス人の思考行動様式を受け入れられるようになったのは、お子さんのいじめや大学内の派閥などさまざまな問題としっかり向き合ってきたから。

〈郷に入っては郷に従え〉を都合良く解釈し、理不尽な事態に陥っても揉み手で相手の顔色を窺っていたのでは、いつまで経ってもこの境地に立てないでしょう。

まさか本書から国際社会でサヴァイヴしていくコツを学ぶことになろうとは、まったく予想していませんでした。そして本編の最終盤。ケンブリッジでの研究期間を終えた藤原さんは、日本についてこう書かれています。

古くからの誇るべき文化や美しく繊細な情緒を有し、伝統と現代を巧く調和させ、豊かで犯罪の少ない社会を作った日本は、混迷の世界を救う、いくつかの鍵を持っている。そのうえ、平和や軍縮を語る時には平和憲法が強みになろうし、人権を語る時には白人でないことが有利ともなろう。地球環境の保護については、得意技の高度技術が役立つだろう。軍事力なきリーダーとなる資格を十分に具えている。そろそろ経済至上主義から脱皮し、世界のリーダーを目指すべきだと思う。日本のような国が、いつまでも田舎成金紳士としての幸せに甘んじているのは、許されないと思う。

この本が出てから約30年。いまの日本はどうか。藤原さんのめざす国の在り方に近付けているのか。世界情勢がますます混迷の一途を辿るなか、またしてもまったく予想しないかたちで、どえらい課題を突きつけられた気がしています。

※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。

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