FAR-OUT ~日本脱出できるかな?~

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八木澤高明『娼婦たちは見た イラク、ネパール、中国、韓国』|読書旅vol.51

今回取り上げる『娼婦たちは見た イラク、ネパール、中国、韓国』(2016年/KADOKAWA)は、ちょっぴり読む人を選びそうな作品ですが、表題を見て思わず眉間に皺が寄ってしまった方にも、ぜひ手に取っていただきたいと思っています。

デウキとは宗教の名を借りた売春だ、と糾弾してしまうのは簡単なことであり、それでは物事の本質を見失ってしまう。

これは著者の八木澤高明さんが、寺に少女を捧げるネパールデウキという風習について書かれた言葉。なお、デウキになった少女は神として祀られると同時に、村の男たちの慰み者としての役目も担い、一旦寺に入ると二度と一般社会に戻れないとか(※いまはほとんど行われていないらしいです)。

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デウキを一例に、地球上では目を覆いたくなるような信じ難い出来事がたくさん起こっています。でも本当に目を覆ってしまっては、いつまで経っても核心に近付けないよな~なんて。だから私は読んでいてしんどくなる類のノンフィクションも、意識的に読もうと心掛けています(言うて、たまにですけどね)。

 

娼婦たちの視点で見る戦争

八木澤高明さんは、週刊誌『FRIDAY』の専属カメラマンを経てフリーに転身したジャーナリスト。ネパール人と結婚していた時期もあり、処女作『ネパールに生きる―揺れる王国の人びと』(2004年)や『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』(2013年)をはじめ、ネパール内戦下のルポルタージュを得意とされてきたイメージが強いです。

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そのネパールと並び、いわゆる日陰者の取材にも精力的な八木澤さん。本稿の主役である『娼婦たちは見た』は、こと娼婦に関する15年間の取材を総まとめした1冊です。いや、この本に対して〈取材〉って言葉は使わないほうがいいのかも……。

取材という行為は後付けの理由のようなもので、私自身がとにかく現場を見たかったし、娼婦たちのことを知りたかったのだ。(中略)言って見れば、取材が記録したものの成果を公に還元することを前提とするならば、私の行いは、見聞きしたことを自分自身に還元するためのものだった。

もともと本書は『娼婦たちは見た』じゃなく『娼婦たちから見た戦場』なるタイトルが付けられていました。しかし、〈韓国や中国は戦場の定義から外れるのでは?〉的な意見があったのか、2019年の新書版化に併せて改題。

いずれにせよ、ここでは古くから娼婦(遊女)の稼ぎ場所であった戦場にフォーカスし、彼女たちの視点から戦争を見ていくといった試みがなされています。

 

売春は最後の命綱

初のフリーランス仕事となったバグダードに向かう途中、経由地バンコクの俗に言う金魚鉢で女性を買う場面から始まる本書。以降も、時にただのお客さんとして娼婦と対峙していく著者の行動に、変な話、私は妙に感心(納得?)しました。

いかなる理由においても戦争は絶対にダメです。それを大前提に、戦争の前線では命を張って戦う男たちを癒す者が必要とされている――昔から変わらないその事実を、改めて突きつけられた気がします。

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バグダード陥落直後、爆弾テロ拉致事件が頻発するこの街で体を売る女性の多くは、夫が戦死したか、離婚したか、前政権からあてがわれた家をフセイン失脚によって追い出されたロマか、はたまた出稼ぎのフィリピン人でした。

他とは少し事情の異なるフィリピン人は一旦置いといて、イスラム社会で独り身の女性が生計を立てていくのはどんなに大変か。

戦争で行き場を失った彼女たちが身を寄せ合って共同生活し、春を売っているアパートを、著者は〈最後の命綱〉と表現。おそらく最後の命綱が絶たれたら、彼女たちは生きていけなくなるでしょう。

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〈売春は良くない〉とド正論をぶつけたところで、何の解決にもならない厳しい現実イラクには横たわっています。

そうした現実を前にして、私は女性たちの逞しさに圧倒されました。こんな言い方は不適切かもしれません。それでも、宗教観とか道徳観とか、さまざまな価値観が崩れ去った状況で、己の身を頼りに何が何でも生き抜ぬこうとする姿が、私には物凄い逞しく映ったんです。

 

娼婦は社会の代弁者

ネパールでは冒頭に挙げたデウキや売春カーストのバディーを、中国では纏足文化や黒孩子の売春の実態に迫り、最終章では韓国へ。

やはり韓国にまつわる章は、従軍慰安婦米軍基地村の話がメインとなってくるものの、慰安婦問題が出てきた途端に日本(と韓国)では別の尺度の感情が抱きがちなので、あえてこのブログでは言及を避けます。

ただ、妓生文化韓国併合を機に持ち込まれた日本の遊郭制度など、かの国の歴史的背景も踏まえ、都合よく上塗りされた解釈ではなく、大戦当時の記録を引用しながら極力フラットに〈何が起きていたか〉を伝えていこうとする著者の書きぶりが、とても素晴らしいと思いました。そこは強調しておきたい部分です。

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私自身は性産業全般にわりと肯定的です。この分野の需要は絶対になくならないはずで、つまり、資金の流れがクリーンで労働者が真っ当な待遇を受けられてさえいれば、立派な商売だと常々考えています。

社会的地位の向上を目指して堂々とデモ運動を行う韓国人娼婦たちも、ネパールで街娼をしている性同一性障害ヒジュラが放った「本当の自分を秘めながら暮らすって悲惨ですよね」との言葉も、めちゃくちゃカッコイイと思いました。

だけど、戦争未亡人売春カーストを筆頭に、自分の意思とは関係なく、それしか選択肢がないから体を売らざる得ない状況は、世界からなくなってほしいです。

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紛争貧困でもっとも被害に遭うのは、いつだって立場の弱い人たち。繰り返されてきたこの歴史を、もういい加減、断ち切らなきゃいけないと切に感じています。

ネパール、イラク、中国、韓国。未だに紛争の絶えない国もあれば、治安も経済も安定している国もある。ただ、どの国においても娼婦たちの姿が消えることはない。

彼女たちは表立って見えてくるものではなく、常に陰の存在である。そのような彼女たちが日々眺めている小さな窓から社会を覗いてみると、娼婦はその国や社会を語るうえで欠かすことができない人たちであり、社会の代弁者であることに私は気付かされた。表通りを見るだけではわからない世界の姿を、彼女たちは教えてくれるのだ。

恵まれた国で暮らす私たちがこういう世界の話を知りたがるのは、高みの見物にすぎないのでしょうか。読了後ずっと悶々としています。悶々としつつも、無理矢理アウトプットして、皆さんに共有させていただきました。

いつにもまして、とりとめもない投稿になってしまってゴメンナサイ。この記事が少しでも何かを考えるきっかけになれば幸いです。私も思考を続けます。

※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。

www.kadokawa.co.jp

 

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