引き続き今回も大好きなヴェトナムにまつわる書籍をピックアップしてみました。前回の『ヴェトナムディープウォッチ』が刊行されたのは、米越の国交が正常化し、ヴェトナムのASEAN加入が認められた年。経済状況も街の様子も、いまとはだいぶ異なります。
そこで、自分も知っている時代のヴェトナム話が読みたいな~と思い、本棚から下川裕治さんの『週末ベトナムでちょっと一服』(2014年/朝日文庫)を引っ張り出した次第です。
意識のズレを埋める旅
下川さんの『週末旅シリーズ』を当ブログで紹介するのは、これで2度目。最初は著者が一番得意とするタイの首都を舞台にした『週末バンコクでちょっと脱力』を取り上げています(※詳しくはこちらから)。
時には歴史的背景にもしっかり触れながら、その土地で暮らす人の気質にまで深く切り込んでいく下川さんの旅エッセイは、文化人類学の領域に片足を突っ込んでいるものも少なくありません。
それなのに読み心地はすこぶるライト。飄々としていて、自慢たらしさや高圧的なところがなく、いい塩梅でユルユルです。その空気感が主に東南アジアの街並みとぴったりフィットし、私はいつも旅情を掻き立てられています。
で、『週末ベトナムでちょっと一服』もユルユル感を期待して読み返したものの、〈こんな内容だったっけ?〉とやや困惑。記憶の一部がごっそり抜け落ちていました。ここでの下川さんはいつになくシリアスで、感傷的な一面も覗かせています。
1954年生まれの著者は団塊の世代よりも少し下、いわゆる団塊の金魚の糞世代。中学時代に学生運動のうねりをTVで目の当たりにし、憧れを抱いていた下川少年が、ヴェトナム反戦運動に高い関心を持ったのはごく自然な流れでした。やがて社会人になり、新聞社の支局で働き出してからも、常に開高健さんの68年作『輝ける闇』(南ヴェトナム軍に従軍した記者の物語)を持ち歩いていたと回想されています。
当時、世界中の青年がヴェトナム戦争に対して並々ならぬ思いを寄せていた様子は、マーヴィン・ゲイの“What's Going on”やビートルズの“All You Need Is Love”、高田渡の“自衛隊に入ろう”などなど、あの時代に生まれた数々の反戦歌からも窺い知れます。
そして、南北が統一すれば同地に平和が訪れると信じて疑わなかった彼らが、直後の難民問題やカンボジア侵攻に対し、ある種の敗北感だったり虚無感だったりを覚えたことも、これまでいくつかの文献で目にしてきました。
そういう一定世代に刷り込まれたヴェトナムのイメージと、実際のヴェトナム人が抱く意識のズレを、東南アジアに造詣の深い下川さんがみずから埋めていく――おそらく本書の肝はそのあたりにあるんじゃないかと思います。
ホーチミンとハノイ
〈戦争反対!〉と声高に訴えた時代を体験していない私ですら、ホーチミンの人々が放った言葉にページをめくる手が止まりました。
ヴェトナムの2大都市であるホーチミンとハノイに訪れた人は、それぞれの違いを肌で感じているはず。以前に私はその中間に位置するフエで日本語の話せるローカルから、「大雑把で明るく呑気なホーチミンの人はアメリカ人みたいで、声が大きくて頑固なハノイの人は中国人みたい。フエの人間は日本人みたいに礼儀正しくて上品だよ」と言われたことがあります。
確かにハノイの人は声がデカイ。街中で住民同士が怒鳴り合っている場面にも2度3度と遭遇しています。たまたまなのか、私が忘れているのか、ホーチミンでは地元の人が大声を張り上げて喧嘩している姿を見たためしがありません。
まあ、縦長の国だから南北で文化が異なって然るべき。ホーチミンとハノイの違いを単なる地理的な問題だと受け止め、フエっ子の言葉を聞いた時も〈流石は古都フエの人。京都人さながらにプライドが高いな~〉程度にしか思いませんでした。
だけど、現実はもっと複雑なのかも。ある日を境に資本主義から社会主義へと移行したホーチミン。南北統一後、政府は北ヴェトナム通貨と南ヴェトナム通貨の交換レートを1対100にしたとか。
となると、ホーチミンシティの人の多くがホー・チ・ミン氏を嫌っている話もあながち嘘ではなく、いまなおこの街をサイゴンと呼ぶ地元の方が多いのだって、ひょっとしたら何か意図するものがありそうです。
詰めの甘い社会主義?
ヴェトナムの厳しいコロナ対策をニュースで見聞きしたのをきっかけに、この国が一党独裁の社会主義国家である事実をまざまざと思い知った一方、普通に行き来していた頃はあまり社会主義チックな印象を持っていませんでした。
もっとも、世界報道自由度ランキングの2021年版で5年連続180か国中175位に付けているくらいなので、たぶん実態はガチガチの社会主義。旅行者にはわかりにくいだけでしょうけど、とはいえ以下の一節に〈やっぱりヴェトナムは社会主義国家特有の堅苦しくてちょっと怖いイメージが希薄なんだよな~〉とニンマリしてしまいました。
ハノイで聞いた話では、市当局は、ベトナム戦争後、旧市街の再開発を計画したという。社会主義の国だから、北爆の被害に遭った地区にどーんと幅の広い道をつくることなど簡単にできそうに思うのだが、その前にハノイの人々が住みついてしまったのだという。ベトナムの社会主義政権は、ほかの国に比べると詰めが甘いアジア人の顔をときどきのぞかせる。結局、ハノイには迷路のような道と二、三階建ての家がぎっしりと並ぶ旧市街地ができあがってしまった。
ヴェトナムは、タイ・カンボジア・ラオス・ミャンマーといった近隣の国とは明らかに何かが違います。著者はその理由の1つに、他が上座部仏教であるのに対し、ヴェトナムが大乗仏教だからじゃないかと推察。
それでも、下川さんの言う〈詰めの甘さ〉にどうやっても拭い去れない東南アジアっぽさがダダ漏れしていて、そこがたまらなく愛おしく、なぜ自分がヴェトナムを好きなのか、本書を通じて客観的に見直せました。
ひねりの効いた旅のプラン
……と、あれこれ書きつつ、もちろん歴史や政治的背景を取っ払い、ただただ無邪気に『週末ベトナムでちょっと一服』を読むのも全然OK。『週末旅シリーズ』に相応しく、ひねりの効いたヴェトナム旅を提案してくれます。
最高のヴェトナム・コーヒーを求めて本場バンメトートまで足を運ぶプランは凄く粋ですし、ホーチミンの路線バスにチャレンジする1日もなかなかマニアック。最近でこそBusMapなるアプリのおかげで敷居が下がりましたが、少なくとも本書が出た当時、超絶方向音痴な私に市バスはお手上げでした。この〈バスに乗るだけ〉っていう途轍もなく地味なアクティビティーが、下川さんらしくて最高です。
僕には世界一周とかユーラシア大陸二万キロといったタイトルの本が多い。スケールは壮大だが、やっていることはセコいという作品が多いのだが、本のタイトルというものは、作者の思惑を無視して、別のイメージを膨らませてしまう。しかし今日の市内バスに乗る旅は四~五キロをバスに乗っただけにすぎない。
下川さんはそれでいいんです。多くの読者はセコい旅行記を楽しみにし、自分たちの旅に取り入れているのですから。私も本書を手本に1つ行動に移したものがありました。それはフォーのお店でビーフシチューを食べること。
コーヒーやバインミーを筆頭に、ヴェトナム料理の一部にはフランス統治時代の影響が色濃く残っています。その中の1つにビーフシチュー(現地名:Bo Kho)があると『週末ベトナムでちょっと一服』で知った私は、ホーチミンでさっそくトライ。驚くほど普通にクォリティーの高いビーフシチュー(老舗の洋食店で出てくる系)で、同地のハイブリッドな食文化の奥深さを実感しました。
このように、旅をおもしろくするヒントがたくさん潜み、読めば旅のスキルがちょっぴりアップする下川さんの『週末旅シリーズ』。近い将来、ふたたび隔離制限なしで自由に海外旅行できる日が来るのを信じ、コロナ禍中に台湾編や沖縄編もご紹介したいと思っています。
※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著と直接関係はありません
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