FAR-OUT ~日本脱出できるかな?~

旅のこととか、旅に関する本のこととか。

蔵前仁一『あの日、僕は旅に出た』|読書旅vol.67

宮田珠己さんの処女作『旅の理不尽 アジア悶絶篇』を取り上げておいて(※詳しくはこちらから)、蔵前仁一さんの本を紹介しないわけにはいきません。

そこで、いろいろな作品があるなか、ひとまず『あの日、僕は旅に出た』(2013年/幻冬舎)をチョイスしてみました。最初にお断りしておくと、この本はいわゆる旅エッセイじゃありません。

1つの旅を機に人生観がガラリと変わり、世界を放浪しながら個人旅行専門誌『旅行人』を、さらにはその延長線上で雑誌と同名の出版社を立ち上げ、そして手塩に掛けて育てた『旅行人』の休刊を決意するまでが綴られた、蔵前さんの自叙伝的な一冊です。

 

いち編集者として

この物語は、フリーのグラフィックデザイナー兼イラストレーターとして多忙を極め、睡眠時間も満足に取れない生活に辟易していた若き日の蔵前さんが、2週間のインド旅行へ出る場面から始まります。

本書を手にした当時、私はまだ編集者として真面目に働いていました。寝る時間はそれなりにあったとはいえ、一般企業で働く周りの友達に比べたら、何だかんだ就業時間は長かったと思います。

そういう自分の置かれていた環境も相俟って、『あの日、僕は旅に出た』を最初に読んだ際は、編集長としての奮闘をまとめた後半パートに心掴まれました。

例えば、旅行人初のガイドブック『旅行人ノート・チベット』(1996年)を制作するにあたり、予め台割を作らなかったエピソード。そりゃ、ページ数予算締め切りもオーバーしますって。

この作り方が良いか悪いかは別にして、〈せっかくだから中国のチベット自治区だけでなく、インドやネパール、ブータンといったチベット文化圏を網羅するぞ〉とか、〈かの『ロンリー・プラネット』を超えてやるぞ〉とか、一冊の本に込められた熱量の高さに痺れました。

他にも、趣味で始めたミニコミから全国の書店に置かれる雑誌にまで『旅行人』を大きくしたこと、同誌からたくさんの旅行作家を輩出したこと、自分が旅に行けないからと刊行ペースを落とし、最後は思いきって休刊したこと、それら1つ1つにただただ凄いな~の一言。

仕事は全力で楽しむべきだし(ラクするという意味ではないです)、楽しめなくなったら一旦立ち止まる勇気も大切だと、蔵前さんの生き様から学びました。無論、メディア関連の仕事に限らず、これはすべての職種に当てはまると思っています。

 

錚々たる門下生たち

ちなみに、旅行人から巣立っていった作家さん/漫画家さんは、先述した宮田珠己さんをはじめ、大倉直さん、田中真知さん、さいとう夫婦、当ブログでも紹介している岡崎大五さん(※詳しくはこちら)、グレゴリ青山さんなどなど。

そのうちのグレゴリ青山さんは、デビュー作『旅のグ』の発売時にアジア旅行へ出てしまい、蔵前さんからこっぴどく叱られたらしいですよ(そりゃそうだ)。

ライター経験ゼロの自由気ままなバックパッカーに、ディレクションしたり、締め切りを守らせたりするのは、おそらく大変な苦労だったはず。それが皆さん他社からも単著を出せるくらいに成長していくって、蔵前さんの高い編集者スキルなくしてあり得なかったと思います。

また、本書の中では石井光太さんとの思い出にも触れられていました。後に文藝春秋より書籍化された『物乞う仏陀』(2005年)を、旅行人社にも売り込んでいた石井さん。しかし、オフィスの移転でなかなか原稿に目を通せなかった蔵前さんは、しばらく経って石井さんに電話したそうです。

連絡したタイミングですでに文藝春秋が手を挙げており、蔵前さんは後悔しつつも、〈大手に決まって結果的に良かった〉と感じたとか。

『物乞う仏陀』についてはまたの機会に当ブログでもピックアップしたいと考えていますが、これがとんでもない衝撃作でして……(※同様にとんでもなく素晴らしい石井さんの2作目『神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く』についてはこちらから)。

もし私が蔵前さんだったら、〈大手に決まって良かった〉と思えるかどうか。自社から出せなかった事実をひたすら悔しがり、眠れない日々を重ねた違いないです。

みんなが知らない辺境地の情報や、まだ表舞台には出ていないユニークな作品を、1人でも多くの読者に届けたい――自分の手柄を立てるよりも、会社の利益を追求するよりも、そんな想いが真っ先にあったから、旅行人には優れた書き手が集い、着実に媒体の評価も上がっていったのでしょう。

 

人生を変えた旅

ここまで書いた内容が初見の感想。10年近く経って生活環境も一変したいま改めて再読したところ、以前にも増して旅について書かれたパートにワクワクしました。

本っていうのはおもしろいもので、その時の心境によって胸に焼き付く文章が全然違うというか。同じ作品でも数年間のスパンを置いて読むと、まったく別の感想を抱くことに、ここ最近、けっこう強烈に気付かされています。

もともと旅行ではなく、レコード収集DCブランドに興味津々だった蔵前さん。インドにもさして関心はなく、それどころか、インドかぶれした人たちを嫌っていた著者が、普段ほとんど口を利かない物静かな同僚に〈インドって不潔で、物乞いがいっぱいいて、猛烈に暑くて、でも凄くおもしろいんだよ〉と言われ、何となく訪印を決行。

束の間の休息が取れるのなら、場所はどこでも良かったのかもしれません。のっけからニューデリー空港の人の多さに面食らい、市場での値段交渉に戸惑い、駅員にぼったくられ……と、インドの洗礼を受けていきます。旅の締め括りはオーバーブッキング。もう散々です。

それなのに、帰国後に待ち構えていたのは、ふとした瞬間にインドのことばかり考えてしまうインド病毎日。仕事も手に付かず、〈その手の病はもう1回現地に行くしか直す方法はないよ〉との助言に従い、今度はマンションを引き払って、中国と東南アジアを経由し、インドとネパールを回る1年半の長期旅行へと出発します。

インドといえば、路上で物乞いが悲惨な生活をしている最貧国というイメージがあった。それはまったくのまちがいとはいえないが、なにもかもが悲惨であるといいきることもできない。足のない物乞いが、リキシャ引きの男とにぎやかに話をしている姿を見ていると、この国では物乞いがただ悲惨な脱落者ではなく、社会の構成員であると感じる。

次の予定を決めず、気の向くままにゆっくりと街を歩き回ったからこそ見えてくる景色があったのでしょう。蔵前さんは2度目のインド訪問をこんなふうにも回想されています。

世界は自分がそれまで抱いていたイメージや学んだことと相当違っていた。不潔、貧困、病気などといったインドに対する漠然としたイメージは僕自身の無知と誤解でもある。そうか、本当はこういうことになっていたのか、本当の姿はこうだったんだ。旅の路上で何をみても、それまで知ったつもりになっていたことが覆され、それがおもしろくてしょうがないのである。まるで世界の真実をつかんだような気分だった。

 

そして、旅は続く……

蔵前さんほど旅によって生き方が変わったケースは稀だとしても、多かれ少なかれ、旅行に魅せられている人は、そうなるきっかけになった旅があると思います。

もちろん、私にもあります。その旅行中は24時間ずっと楽しかったなんてわけもなく、効率の悪いイミグレに苛立ち、空港タクシーの客引き合戦にげんなりし、言葉の壁に凹み、マナーの悪さに呆れ、日本語で話しかけてくる現地人が全員悪者に見え、果ては下痢でトイレから出られなくなったりもしました。

なのに、自宅に戻るや否や、諸々の苦い経験もキラキラした思い出に即変換され、すぐまたあの場所に戻りたくてたまらなくなったんです。あれ以来、私はちょっぴり人生を狂わされました。世界には日本の常識では考えられない出来事がたくさん起こっている事実も知りました。

それ以前に家族や友達と海外旅行した時は、そんなテンションにならなかったので、余計に不思議だったんですよね。

『あの日、僕は旅に出た』は、旅行好きの誰もが経験しているであろう、何かしらのきっかけとなった旅の記憶も微かに甦らせてくれる作品です。言わずもがな、読了後はまたあの感覚を求めて旅に出たくなること必至。

冒頭で〈いわゆる旅エッセイではない〉と書いたものの、やっぱり撤回。これは読み手の旅行欲を思いっきり刺激する、正真正銘の旅エッセイでした。

※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。

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