FAR-OUT ~日本脱出できるかな?~

旅のこととか、旅に関する本のこととか。

蔵前仁一『ホテルアジアの眠れない夜』|読書旅vol.68

前回ピックアップした蔵前仁一さんの自叙伝『あの日、僕は旅に出た』(2013年)は、文中にそれまで発表されたエッセイの話もチラホラ登場し、自然と過去作も読み返したくなる構成です(※詳しくはこちらから)。

ならば続け様にもう1冊、蔵前さんの作品を紹介したいと考え、『ホテルアジアの眠れない夜』(講談社文庫/1989年)を選んでみました。

余談ですが、『ホテルアジアの眠れない夜』の次作となる『ゴーゴー・アフリカ』が、今年9月にボツワナ編とトルコ編を加筆し、電子書籍版『新ゴーゴー・アフリカ』として新装されるとか。そちらも楽しみです。

 

記念すべき出世作

『ホテルアジアの眠れない夜』は蔵前さんにとって3作目の単著です。もともとは凱風社から1989年に刊行され、その5年後に講談社より文庫化。これが単行本と文庫本合わせて18万部のベストセラーを記録します。

文庫版の巻末には大槻ケンジさんとの対談や、宮沢和史さんによる解説を追録。かなりの豪華仕様で、講談社の気合いの入れようも窺えるでしょう。ご本人は『あの日、僕は旅に出た』の中でこう振り返っています。

本の執筆だけで生活できるようになったのは、九四年に『ホテルアジアの眠れない夜』が講談社から文庫で発売されてからである。この本がヒットして、ようやく僕は生活できるほどの「旅行作家」になれたのだ。

蔵前さんにとってメモリアルな1冊となった本作は、〈旅の途中で考えたこと〉をイラスト文章で表現したもの。このスタイルはデビュー作『ゴーゴー・インド』(1986年)に端を発します。

イラストレータグラフィックデザイナーを辞め、東京のマンションを引き払い、初めての長期旅行に出た際、蔵前さんはインドでカメラを盗まれ、道中の出来事をノートに書き留めていくことに。

いざ作業を始めてみると、理路整然と言葉でまとめるのがまどろっこしくなり、気付けば紙の上にはイラストがぎっしり(流石はイラストレーター!)。

このノートをベースに作られたのが『ゴーゴー・インド』です。まだ旅行書自体の数が少ないうえに、イラスト入りとなると文芸コーナーからも除外されるため、あまり書店で展開してもらえず、発売当初の売れ行きは絶不調

しかし、イラスト入りの旅エッセイという新しい様式がじわじわと評判を呼んで、『ゴーゴー・インド』は少しずつセールスを伸ばし、そして出世作ホテルアジアの眠れない夜』へと繋がっていきました。

何にせよ、旅先でカメラが盗まれなければ、これらの本は生まれなかったかもしれませんし、これらの本がなかったら、蔵前さんがバックパッカーの教祖と崇められることも、下川裕冶前川健一と並んでバッグパッカー系物書きの御三家に数えられることもなかったかもしれません。

 

日本人バックパッカーの黎明期

一般社団法人日本旅行業協会のデータを見ると、60年代終盤は5万人にも満たなかった日本人の年間海外旅行者数が、70年代半ばには200万人を超え、『ホテルアジアの眠れない夜』のリリース年になると、あと一歩で1000万人のところまで到達。

いまよりも団体ツアー客の割合が圧倒的に多かったとはいえ、蔵前さんは自身初のインド行脚で想像以上に日本人バックパッカーがいる事実に驚き、本作を含む初期の作中では道中に出会った自由旅行者をたびたび登場させています。

これが揃いも揃って癖が強め。日本におけるバックパッカー黎明期だったからなのか、本当に変わり者だらけです。少なくとも私が出会った旅人に、ここまでの凄キャラはいません。

何はともあれ、1996年に猿岩石が例のヒッチハイク企画でブレイクしたり、2008年にトリップアドバイザーが日本進出したり、2012年に日本にもLCCが就航したり……みたいな、何年かスパンで訪れるブームを繰り返すうちに、バックパッカーはすっかり定着。

でも、まだまだ情報が少ない時代に書かれた『ホテルアジアの眠れない夜』は、同朋の皆さんやこれから旅に出ようと思っている人たちにとって、凄くありがたい存在だったはずです。

一方、デジタル・バックパッカー時代のいま読むと、〈当時はこういう感じだったんだ!〉と驚かされる内容もしばしば。何周かまわってめちゃくちゃレトロ可愛く見えるイラストもイイ味出ています。

 

バックパッカーの心得

もちろん、30年以上経とうが変わらないものもあり、そういう発見ができる点も本書の魅力。なかでも印象深かったのが、特定のバックパッカー苦言を呈する第1章『長期旅行者の憂鬱』です。

例えば、ビンボー旅行至上主義者に対して(※蔵前さんは貧乏旅行を嫌い、〈貧乏〉を〈ビンボー〉と表記。本稿でもそれに倣ってみました)。

ビンボー旅行至上主義者とは、極限まで節約し、現地の困窮貧困に自身を同化させ、そこからその国の真実を見出そうとするタイプのツーリストです。

そのような「ビンボー旅行者」が誤解しているのは、彼ら流の「ビンボー旅行」を完遂することこそ、「貧乏な民衆」を理解する唯一の手段であり、そのことで「民衆」に同化できると思っていることなのである。

これは完璧な誤解である。何故なら「貧乏な民衆」は誰一人として「ビンボー旅行者」のことを、自分たちと同じような貧乏人などとは思っていないからだ。本当に貧乏なら、フラフラとインドまで旅行できる訳がない。腹巻の中に数百ドルのトラベラーズチェックなど持っている訳がない。「安宿」のドミトリーのベッドに泊まれる訳がない。そのような旅行者を見て、自分たちと同じような「貧乏人」などと、思ってくれると思う方がどうかしているのである。

その通り! 日本人ツーリストがビンボーに徹したところで、結局は高みの見物にしかすぎません。YouTuberの影響もあって昨今スラム探訪が人気を博していますけど、いわゆるブラック・ツーリズム自体は否定しないにせよ、貧困見世物にされている現地の人たちは何を思うんだろう……と考えてしまいます。

それにビンボー旅行者は気前良くお金を落とすわけでもないですしね。自分も含め、このあたりはいま一度じっくり向き合わなきゃいけない問題だと感じました。

もう1つ、旅の長さや行った国の数を自慢してくる長期旅行至上主義者に対しての指摘も見逃せません。重要なのは期間の長さや回数ではなく密度の濃さです。

旅のみならず、アイドル界隈のオタク然り、Jリーグのサポーター然り、どの畑でも偉ぶる古参が一番鬱陶しい。この手の自慢は本当にアホ臭いな~と、蔵前さんの意見に激しく共感しています。

蔵前さんのコアなファン層は旅慣れた人たち。だからなおさらバックパッカー・ブームを目前に控えたタイミングで、バックパッカー作家の先駆者は読者に向けて個人旅行の心構えをやんわり説いておきたかったんじゃないでしょうか。

 

旅はいいぞ!

あの日、僕は旅に出た』と『ホテルアジアの眠れない夜』を立て続けに読み直し、20年経って当時を振り返った前者には、冷静に俯瞰して旅を分析していくおもしろさがあり、後者にはまだ熱気冷めやらぬ状態で書いた勢いがあって、それぞれに違う楽しみ方ができました。

同じ旅の出来事を、同じ著者が、異なる方法で表現した書籍を味わうって、何だか凄く新鮮……と、無理矢理それっぽくまとめに入ろうとしたものの、結局、蔵前さんの本を前に出てくる感想は〈旅っていいよな〉の一言に尽きてしまいます。

その原因は私の語彙力の乏しさにありますが、それを抜きにしても、蔵前さんの作品が読み手の旅欲をめいっぱい刺激してくれるのは確か。

この夏、久々に旅行される方はぜひ蔵前さんの本を通じて旅の勘を取り戻し、はたまたもうしばらく旅はお預けという方も蔵前さんの本を通じて旅の疑似体験してみてはいかがでしょうか。

最後に、本書のラストに書かれた一節――以降も蔵前さんがずっと読者に伝え続けていることを引用して、本稿を締めさせていだきます。

「世界」にはいいことばかりではないが、いろいろな人が暮らし、様々な価値観がある。世界を旅して、そこで生きるということは、その多様さを認め、尊重していくことでもある。それは翻って、日本で生活していく場合にも当てはまることではないかと思う。

本当にいろいろな暮らしや生き方がある。それだからこそ、世界はおもしろいし素晴らしい。

旅は、僕にそのようなことをずっと伝え続けてきた。

旅に出たい。僕はいつもそのことばかりを思い続けている。

※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。

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