FAR-OUT ~日本脱出できるかな?~

旅のこととか、旅に関する本のこととか。

たかのてるこ『ダライ・ラマに恋して』|読書旅vol.10

今回選んだ1冊は、2004年に刊行/2007年に文庫化されたたかのてるこさんの旅エッセイ『ダライ・ラマに恋して』(幻冬舎)。舞台はチベット自治区、並びにインド北部のチベット文化圏です。

実はこれが私にとって初めてのたかの作品。最初は代表作『ガンジス河でバタフライ』(2000年/幻冬舎)を攻めるべきかとも思いつつ、1つ前に読んだのが椎名誠さんの『インドでわしも考えた』だったので(*詳しくはこちらから)、「せっかくなら違う文化の話が読みたいな~」と『ダライ・ラマに恋して』に手が伸びました。

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そんなこちら側のどうでもいい経緯はともかく、たかのさんの人懐っこい筆致で紹介されるチベット仏教哲学が、いまの自分にはビックリするくらいすっと入ってきて、「このタイミングで読むべき本だったのかも!」と不思議な縁を感じています。

というか、チベットの人々は国=故郷を失っているわけですもんね。平和ボケした私には想像を絶する彼らの境遇と、考え方日々の営みに大きなカルチャーショックを受け、読了後に間髪入れずもう1回読み直してしまいました。

 

チベット自治区の現実

本書の始まりは、大失恋して凹みに凹んでいた著者がたまたま書店で『ダライ・ラマ 365日を生きる智慧』(春秋社)を見つけ、「ダライ・ラマ14世に会いたい!」と思い立ったことに端を発します。

すぐさま彼女は東京にあるダライ・ラマ法王日本代表部事務所に、イチかバチかで取材申請。必ず会えると信じ、その日が来る前に「ダライ・ラマの故郷を見ておこう」とまずはチベット自治区へ向かうのでした。

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外国人旅行者を受け入れているとはいえ、今も昔も個人旅行禁止され、ガイド付きで決められた場所しか見て回れないチベット自治区

旅行中の厳しい行動制限に著者は苛立ちとやるせなさを感じながらも、亡命を企てる青年と偶然知り合い、ホテルで密会を重ねていきます(エロい意味ではなく、公の場での政治的な会話は即投獄だからですよ)。

その青年の言葉に心が痛んだ一方で、私が驚いたのは漢民族チベット族が普通に恋愛結婚している事実。たぶん現在はもっと血の融合が進んでいるのでしょう。

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もちろん、支配者側にとって都合の良い歴史教育を強要したり、(実質的に)言語を奪ったり、信仰の自由を徹底して禁じたり……と、中国のやり方は許されるものじゃないと思います。2019年にバズった漫画『私の身に起きたこと ~とあるウイグル人女性の証言~』を読んだ時も、本当につらすぎて眠れなくなりました。

だけど、少なくとも当事者同士が憎しみ差別を抱いていたら、双方合意のもと婚姻関係を結ぶなんてあり得ないはず。

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たかのさんがチベット自治区を訪れた2000年代初頭は、ビースティ・ボーイズを発起人とする〈Tibetan Freedom Concert〉の東京開催をはじめ、フリー・チベットのイヴェントが日本でも頻繁に開かれていた時期です。

亡命政府チベットの独立を心から願っていて、その反面、チベット自治区には漢民族と結婚する人も存在し、民族の垣根がどんどん取り払われつつある――チベット族の中にも独立反対派がいて然るべきなのに、反対側の立場にまでまったく考えが及ばなかった自分にハッとしました。

もともとグローバリズム的な思想があんまり好きじゃなく、行く先々でその土地特有の文化に触れられる体験を旅の楽しみとしていた私ですが、だからと言って文化を守るために人々がを流すのってどうなんだろう……とか、最優先すべきは伝統や文化を守るよりもいま生きている人の幸せなんじゃないかな……とか、いろいろ考えずにはいられません。とても繊細で難しい問題ですけどね。

 

ラダックに恋して

さて、チベット自治区ではダライ・ラマの写真を飾るどころか、その名を口にすることも禁止されている現実を目の当たりにしたたかのさん。

帰国後、待てど暮らせどダライ・ラマへの謁見許可が降りずにヤキモキしていた彼女は、ラダックを経由してダライ・ラマの住むダラムサラへ赴き、現地の事務所で直談判しようと決意します。何たる行動力!

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ダラムサラへ行く前に寄ったラダックとは、チベット文化が色濃く残るインド北部の連邦直轄領。観光客の来ない閑散期に現地入りしたことも奏功し、彼女はこの街で伝統医療のお医者様やシャーマンを訪ねたり、小学校を見学したり、デモに参加したり、田舎にホームステイしたり……思いっきり地域密着型のラダック滞在を満喫します。

チベット仏教に根付いた人々の暮らしぶり、そして彼らの言葉1つ1つに、読んでいるだけで心が洗われました。あ~、私も行ってみたい。

「日本では心の病気になる人が多いんだろう? ここで暮らしている人たちは、たくさん考えるよりたくさん祈るから心の平安を保つことができるんだよ」――本当にその通り。

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「お寺で何をお祈りしているの?」との問いに対しても、全員が口を揃えて「ダライ・ラマが長生きされることと、すべての人の幸せと平和を祈っている」ときっぱり。村の人々曰く〈すべての人〉の中には自分も含まれるから、自分個人のことは祈らなくても良いんだそうです。

彼らの死生観も目からウロコ。親の死を恐れる著者に向けて、「自分が不安になるからでしょ? (その恐怖心は)変わりゆくものを受け入れようとしない執着心からくるもの」と容赦ありません。

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本書の中ではチベット文化圏に伝わる鳥葬――解体した遺体を荒野に置き、鳥についばませて死者を弔う風習――についてもちらっと書かれていました(確かガンジス河の水葬も遺体をハゲワシが食べるんですよね?)。

魂が抜けた肉体は不要なもの。多くの命を奪うことによって生きてきた人間は、せめて死後その肉体を他の生命のためにお布施しよう」といった考えらしいです。

流石にそこまでは割り切れないものの、何にせよ私は身の周りのあれこれに依存して生きているのかも……と猛省。変化を受け入れるどころか、必死で老いに抗おうとし、親の死なんて想像したくもない。所有物への執着心だって強く、服も本もレコードやCDもなかなか手放せないせいで、私の部屋はモノで溢れています。

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すべての人の幸せ平和を願い、死後の肉体は他の生命のために差し出す――徳を積めば天国に行けるとか、そういう個人レヴェルの話ではなく、自分自身や家族にさえも執着しないとは、器が大きすぎる。

他にも、村人の皆さんの発する言葉はどれもこれも日めくりカレンダーにしたいくらい名言のオンパレード。小学校教師の語った「仏教は宗教じゃなく自然科学みたいなもの」なる一言も相俟って、宗教に馴染みの薄い私にもチベット仏教の教えは腹落ち感がありました。

 

ストレスから自分を解放するヒント

こうしてチベット仏教の魅力を学んだたかのさんは、ラダックを離れていざ最終目的地のダラムサラへ。彼女はダライ・ラマに謁見できるのか否か。ここから先はぜひ実際に読んでみてください。

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総じて、島国日本で形成された私の価値観が、根底から覆されるような1冊でした。例えば自業自得という言葉。国語辞典には「自分の行いの報いが、自分に返ってくること」と載っていて、「通例は悪い行為についていう」と補足されています。いわゆる身から出た錆ってやつですね。

でもチベット族の方々が考える自業自得の通例は善行を指すんですよ。良い行いをすれば、それが返ってくる。

本来の意味は文字通り「(善も悪も)すべての行いが自分に返ってくる」って感じだと思いますけど、なぜ日本だと十中八九ネガティヴなニュアンスで使われはじめたんでしょうね。国民性なのかな。

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長引くコロナ禍で人々のストレスがますます増加していると言われている現在の日本。こんな時代だからこそ、『ダライ・ラマに恋して』は大勢の人に楽しく生き抜くヒントを与えてくれそう。

何はともあれ、たかのさんのストレートな書きぶりが清々しくて、他の本も読んでみたくなりました。まずは著者がチベットに引き寄せられるきっかけとなった、ラオスでの大恋愛にまつわる『モンキームーンの輝く夜に』(2003年)から挑む予定です。

※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著と直接関係はありません。

 

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