FAR-OUT ~日本脱出できるかな?~

旅のこととか、旅に関する本のこととか。

池澤夏樹・文/本橋成一・写真『イラクの小さな橋を渡って』|読書旅vol.34

前回取り上げた『旅をする木』は、本編のみならず、著者と親交の深かった池澤夏樹さんによる解説文も素晴らしいのですが、この解説を読んで、池澤夏樹さんの本をまだ1回もブログで紹介していないことに気付きました。

旅をする木』からの流れで池澤作品をチョイスするなら2000年作『旅をした人 星野道夫の生と死』が相応しいし、ヒマラヤの風景描写に息を呑む1997年作『世界一しあわせなタバコの木。』や2000年作すばらしい新世界も大好きだし、南の島に目がない私的には1992年作『南の島のティオ』も捨て難い……とか考え出すとキリがありません。

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で、ひと呼吸置いて本棚から取り出したのは、大学時代に衝撃を受けた2003年刊行の『イラクの小さな橋を渡って』(公文社)。マスメディア論をほんの少し勉強していた私は、本書を通じて報道の在り方に強い疑問を抱き、何とも言えない気持ちになったものです。

 

旅行者目線で見た開戦前夜のイラク

イラクの小さな橋を渡って』は、『PLAYBOY』誌で遺跡関連の連載を持っていた池澤さんが、世界4大文明の1つであるメソポタミアの遺跡を取材するためにイラク入りした際の旅行記。時は2002年10月末。イラク戦争が始まる約半年前でした。

政治・経済専門の国際ジャーナリストではなく、あくまでもツーリストとして、シュメール、アッシリアバビロニアといった有名遺跡を目当てに、池澤さんがこの時期のイラクを巡った点こそ本作の大きな特徴。本編にはこう記されています。

新聞やテレビは国際問題を詳しく報道する。しかしその大半は各国政府と国連との間のかけひきの話であって、それによって運命を大きく左右される普通の人々のことはほとんど話題にならない。結局のところ新聞は国際問題の専門家を自称する人たちの業界紙でしかない。戦争が国民にとってどういう現実か、新聞やテレビからはなかなかわからないのだ。

メディアで流れる情報がすべて正しいとまでは思っていなかったものの、あまりにもズバッと核心を突く言葉にハッとさせられ、同時に、いかに自分は中東問題に対する関心が低かったか、これを読んで自覚しました。朝鮮半島のいざこざには敏感なくせして、中東問題はどうか。欧米では中東を≒西アジアWestern Asia)と呼ぶのがいまいちピンと来ず、アジアの中で起こっている出来事というよりは、物凄く遠い地域の話に感じていたんですよね。

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中東近現代史の授業でも、スンニ派シーア派の分布図が出てきた時点で脱落しかけ、そこにワッハーブ派フーシ派などが入ってきた日にはもうお手上げ。イラン・イラク戦争どっちがどっち派か、全然覚えられませんでした。

いま思えば、ただ参考書の文字を追うのに必死だった私が、中東問題を理解できるわけないです。派閥の対立構造や列強国との関わり方を相関図をノートに書き出したところで、試験対策の暗記には役立っても、それが何だと言うのでしょう。

中東で起きている争いを、自分とはまったく関係のないニュースと捉えていた学生時代の私。同時多発テロ直後からイラク戦争まで、アメリカ支援活動の一環で日本も長きに渡りインド洋に自衛隊を派遣したのに……。無関心は罪です。

そんな小娘ですら『イラクの小さな橋を渡って』を読んだ時は震えました。いや、池澤さんは私みたいな読者の意識をかの地に向けるべく、この本を書いたのかもしれません。

 

真実は何?

本書に登場するのは、国を動かしている指導者でも、兵士でもなく、戦争とは一見して無関係なごく普通の人々です。現地で著者が見たのは――食糧が十分にあって質も申し分なく、街ゆく人々は一様に明るくて自分に与えられた仕事を一生懸命こなす――どこにでも広がっていそうな風景でした。たった1つ他国と違うのは、いつ戦争が始まってもおかしくない国内情勢です。

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池澤さんがイラクを訪問した年に大統領の信任投票が行われ、イラク政府は〈国民の100%がサダム・フセインを支持している〉と発表。これを受けてフセインバース党による圧政を厳しく糾弾した欧米諸国に対し、この取材旅行で著者が知り合った地元の方A氏の見解は以下の通りでした。

A氏は、イラク人の何割かはサダム・フセイン体制に反対していると思う、と言った。しかし、アメリカが戦争を仕掛けようとしているこの時期に指導者を代えるわけにはいかない。この国の国民にも誇りがあるし、武器を以て迫られれば反発する。一〇〇%の指示というのは今のこの国の雰囲気を表している数字だ、と言う。

信任投票の結果が100%って、確かに国民全員が強制されたようにも解釈できます。実際に日本ではそう報道されていました。だけど、A氏の発言はどうでしょう。支持率100%も結局はアメリカ率いる有志連合撒いた種なんじゃないか……とか、いろいろと考える余地を与えてくれます。

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どうにかして戦争を始める口実が欲しかったアメリは、この選挙結果を巧みに利用。また、フセイン政権アルカイダの親密な繋がりを主張し、戦争を正当化させようとしていました。一方、イラク政府自体はアルカイダビンラディンもはっきりと非難。双方の協力関係を示す証拠は見つかりませんでした。

こうなると、何もかもがでっち上げに見えてきます。イラク戦争の直接的な引き金となった大量破壊兵器保持さえも、そもそもはブッシュ政権捏造で、フセインはそれに乗っかってありもしないのにハッタリをかましていたんじゃないか……なんて憶測が頭をかすめました。まあ、流石に飛躍しすぎですけど、何にせよ戦争を正当化できる理由がこの世に存在するとは思えません。

 

戦争とは何か

どこにでもありそうな風景が広がっていたとはいえ、観光でイラクを訪れるのに2002年10~11月が適しているはずもなく。タイトルにもなった一節は、日本人の感覚からすると、普通の日常には程遠いです。

小さな橋を渡った時、戦争というものの具体的なイメージがいきなり迫ってきた。二〇〇二年十一月四日午後の今、近隣国にあるアメリカ軍の倉庫の中か洋上の空母の上に、この小さな橋の座標を記録した巡航ミサイルが待機している。遠くない未来にそれが飛来して、青い空から一直線に落下し、爆発し、この橋を壊す。そういう情景がくっきりと浮かんだ。ぼくの目の前で橋は炎と砂塵と共に消滅してゆく。

離れた場所からボタンを押し、遠隔操作でミサイルが落とされる。まるでゲームの世界です。たぶん対面で戦っていた時代よりも、罪の意識人を殺す感覚は希薄になるでしょう。でも、実行した側に現実味がなくとも、そこでは誰かが命を落としていて、しかもそれは往々にして本来戦争とは無関係だった人たちです。腹が立ちます。理不尽すぎます。

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ミサイル攻撃で直接亡くなられた方だけじゃありません。90年代から続いた経済制裁によるイラクの死者数は推定150万人抗生物質などの供給が完全にストップし、とりわけ5歳以下の子どもが62万人も命を落としたらしいです。

戦争というのは結局、この子供たちの歌声を空襲警報のサイレンが押し殺すことだ。恥ずかしそうな笑みを恐怖の表情に変えることだ。

イラク戦争2011年終結しました。けれども、これは表向きの話。戦争経済制裁で負ったイラクの傷は、10年以上経ったいまなお完全には癒えていません。インフラ復旧をはじめ、まだまだ課題が山積していると聞きます。

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自分にできることは何もないかもしれませんが、無力なりに想像することはできます。もちろん、関心の矛先はシリアアフガニスタンソマリアスーダンミャンマー台湾など、現在進行形で揺れている国にもしっかりと向けていきたいもの。

今回ピックアップした『イラクの小さな橋を渡って』は、関心を持つことの重要性と戦争の実態を、わかりやすく私に教えてくれた1冊。1時間前後で読めてしまう少ない文字量に反して、得られる学びは途轍もなく大きいです。未読の方はぜひ一度手に取っていただき、戦争についてあれこれ思いを巡らせてみてください。きっとみんなの想像力が、世界を平和に向かわせると私は信じています。

※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。

 

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