FAR-OUT ~日本脱出できるかな?~

現在は旅の記事をお休みし、旅関連の本を紹介する読書ブログに切り替えています。

上原善広『異邦人 世界の辺境を旅する』|読書旅vol.45

昨日は国際人種差別撤廃デーでした。そこで人種差別/民族差別にまつわる本をピックアップしたいと思い立ったのですが、この手の記事は当日に投稿して何ぼ。翌日の夜に投稿しているようではダメですね。自分の計画性のなさに呆れています。

 

被差別民や迫害の現実をルポする

さて、旅をテーマに掲げる当ブログの中で人種差別/民族差別関連の書籍を扱うなら、どういった作品が相応しいか。パッと思い浮かんだのは、上原善広さんの『異邦人 世界の辺境を旅する』(文春文庫)でした。

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被差別部落更池に生まれた上原さんは、主に差別問題を題材に扱うノンフィクション作家2012年刊行の『異貌の人びと―日常に隠された被差別を巡る』を2014年に文庫化した本書のあとがきには、こう記されています。

“路地の出身者が、外国の被差別民や迫害の現実をルポすることなど、所詮は異邦人による居丈高な自慰行為にすぎないのではないか。そう何度か自問したことがある。

しかし私はそれでも外国に通った。そのときはこの衝動をどう説明して良いかわからなかったのだが、今になれば路地(同和地区)のような極めて土俗的で日本独特の問題を俯瞰し、比較するために外国の取材が必要だったと思うのだ”

上原さんは、社会的使命感正義感に駆られて世界を飛び回っていたわけじゃなく、差別が蔓延る実状を善悪の二元論で見極めようともしません。

衝動のままに各地を奔走し、そこで見たもの/感じたものを、ご自身も当事者として直面されてきた日本の差別問題と照らし合わせていきます。

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多民族国家と比べ、島国の日本では人種差別が少ないと思われますか? 〈少なくとも自分は民族や地域による差別をしていない〉と言い切れますか?

果たして現実はどうでしょう。私の個人的な思いは本稿の終盤で触れるとして、その前に作品の概要からご紹介させてください。

 

戦争と差別

上原さんが最初に向かったのは、3つの宗教が聖地エルサレムを奪い合い、世界の修羅と化しているパレスチナ

イスラエル軍から日常的に銃撃を受けるガザ地区では、貧困層の子どもたちが凶暴化し、敵軍の戦車に向かって石を投げては、肝試しをしているとか。平和ボケした私には、想像を絶する光景です。

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ガザには空港や港がなく、外へ出るのにゲートを潜らなきゃいけない……と、別の文献で読んだ覚えがあります。そのゲート通過するには隣国の許可が必要で、許可が下りる割合はわずか1%程度。もはや巨大な監獄ですよね(住民の人は何も悪くないのに)。

『異邦人 世界の辺境を旅する』の中にも、自由を求めてエジプトへ国境越えを試み、射殺された青年2人のエピソードが載っていました。

かつて迫害され、自由を奪われたユダヤが、今度はパレスチナを弾圧し、ガザで戦闘を繰り返しているという現実。差別問題の根深さを思い知らされ、途方に暮れてしまいます。

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パレスチナの次にめざすは、終戦後も混迷の続くイラクです。時にはジムで宗教の壁を感じ、時には売春婦として働くロマの女性たちに思いを馳せる上原さん。

言わずもがな、イスラム圏で売春は禁じられています。このテーマに興味のある方は、以前に取り上げた石井光太さんの『神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く』もぜひ併せてチェックしてみてください(※詳しくはこちらから)。

 

世界から差別はなくなるのか?

ほかにも、スペインのバスク地方に住むカゴを取材したかと思えば、シチリア島コルシカ島に出向いてマフィア接触ネパールマオイストネパール共産党毛沢東主義派)について書かれた章も強烈でした。

“マオバディは良いことばっかり言ってるが、マオバディの幹部連中はブラーマンだ。カースト制度を撤廃すると言ってるけど、そんなことはできない。幹部たちは俺たちのことを偉そうに指導してくるだけだ。そんなことではカースト制度は絶対になくならない”

これは、やっとの思いでマオイスト幹部との面会許可を取り付け、いざ山中の解放区に向かおうとした著者が、ホテルの従業員から小声で打ち明けられた言葉。

マオバディとはマオイストネパール語の呼び方で、ブラーマンは上位カーストです。この2つを別の名詞に置き換え、あれこれ考えてみました

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私たちはそれぞれ何らかのコミュニティーに複数所属し、そのコミュニティー内には大なり小なり階級上下関係があって、それらが絡み合い、個々人のアイデンティティー形成に大きく影響しています。

もちろん社会で生きていくためには、自分の属するコミュニティー外にいる人とも交流しなければいけません。

帰属意識差別意識は表裏一体というか、帰属愛は大事だけど、差別偏見はそこから生まれていく――人間が1人では生きていけない以上、この世から差別を完全に撤廃するなんてほぼ不可能じゃないかと思えてきます。

 

差別や偏見を自覚する

ならば、どうすればいいのか。昨日今日で納得のいく答えは見つかりませんでした。ただ1つ、最初の小さな1歩として〈私自身も差別偏見を持っていることをもっと自覚しよう〉と思いました。

旅の締め括りは、サハリン樺太)です。もともと同地で暮らしていた北方少数民族は、日本旧ソ連が勝手に始めた戦いに無理矢理召喚され、終戦が告げられるや、情報漏えいを恐れた軍に殺されたり、捕虜となって収容されたり……。はたまた、北海道へ移住したものの、新天地でいわれのない差別を受けたり……。

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ご遺族を含め、ほとんどの方がいまだに戦後補償も受けていません。私はこの話を本書を読むまで知りませんでした。

現在、サハリンに住む少数民族の方々は、みずからのルーツを明かし、〈ウィルタが何人、ニブヒが何人、ナナイが何人〉といった具合に、自治体でも島内における民族構成をほぼ正確に把握しているらしいです。一方、日本側は違います。

その最たる理由は、彼らが出自を明かせなかったから。悲しいかな、日本の風潮がそうさせてしまったのです。〈雉も鳴かずば撃たれまい〉〈出る杭は打たれる〉、こんなことわざが伝承される国ですからね。

慣例的に個性よりも協調性同調性が求められてきた日本。異民族大和民族と同化させてきた歴史は、植民地時代の創氏改名に端を発する在日コリアンの日本的通称名にもよく表れています。

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私の同級生の中に、卒業後しばらくして「実は私、在日コリアンなんだ」と打ち明けてくれた子がいました。

周りの友達も、私も、それを言われた時は〈もっと早く言ってくれれば良かったのに!〉〈私も字幕なしで韓国ドラマを理解できるようになりたい!〉〈みんなでソウルに行こうよ。通訳頼むわ!〉みたいな反応だったと記憶していますが、おそらく彼女からしたら物凄く勇気のいる告白だったのでしょう。

上原さんのWikipediaにも〈被差別部落出身である事をカミングアウトし……〉と書かれています。

日本には人種や民族差別が少ないと思い込んでいました。でも現実は、北方少数民族であることを、在日コリアンであることを、部落出身者であることを、親しい友人にさえカミングアウトできずにいる人がたくさんいます。

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アジア人を見つけては〈チーノ、チーノ〉と言ってくる南米人の気質が素晴らしいとは言いませんよ。とはいえ、水面下に隠してそっと蓋をし、見て見ぬふりをしてきた日本社会の差別意識が、私にはかなり気味悪く陰険に思えて仕方ありません。

自分は差別しているつもりがなくても、重要なのはがどう受け取るか。在学中に友人が家族のルーツを公表できなかった責任は、私たちクラスメートにも大いにあります。

だから、自分の中にある差別や偏見を自覚する。まずはそこからだよな~ってしみじみ思っています。国連が3月21日を国際人種差別撤廃デーに制定したのは、半世紀以上も前の1966年。私はだいぶ出遅れていますね。

※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。

books.bunshun.jp

 

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