FAR-OUT ~日本脱出できるかな?~

旅のこととか、旅に関する本のこととか。

高野秀行『未来国家ブータン』|読書旅vol.111

6月は環境省が提唱する環境月間。私も1冊くらいそこに絡めた作品を紹介しようと、高野秀行さんの『未来国家ブータン』(2012年/集英社)を選んでみました。

 

雪男を追って

高野さんがブータンへ行くきっかけとなったのは、生物資源探索企業の代表(飲み仲間)から直々に受けた突然の依頼。

新たに提携したブータン農業省の国立生物支援センターとのプロジェクトが本格始動する前に、政府もよく把握していない少数民族の村に行って伝統知識現地の状況を調べてほしいとのことでした。

辺境慣れしている高野さんも、バイオ分野は専門外。一度は誘いを断りますが、「ブータンには雪男(イエティー)がいるんですよ」の一言に心が揺らぎます。

早稲田大学在学中に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でノンフィクション作家デビューし、以降もベトナムの猿人フイハイやインドの怪魚ウモッカをはじめ、未確認動物探しに勤しんできた高野さん。雪男情報に反応しないはずもなく、意外とあっさりブータン行きを引き受けてしまいます。

果たしてスタートした政府公認の視察旅行。建前はTK(Traditional Knowledge)、本音は雪男の情報を集めるため、祈祷師、お坊さん、役人、お香や冬虫夏草を採る人、村のおばちゃん他、さまざまな人に聞き込みをしていきます。

ところが、雪男のみならずチュレイなる未確認動物の存在も浮上し、裏目的の調査は順調に進むものの、肝心のTK調査はなかなか成果を上げられません。

「このままではまずい……」

そう思ったのはタシガンでのことだった。調査旅行も半分を終了、ずいぶん面白いことを見聞きして充実したつもりになっていたが、冷静に考えればそれは雪男やチュレイの話だとか、高山病の体験だとか、いずれも私の個人的な満足にすぎない。

すっかり著者のペースに乗せられて、読み手の私まで表向きのメインテーマを忘れかけるも、とはいえ、気付かぬうちにブータンの伝統知識がゆるりゆるりと頭に入ってくるのだから、高野さんにはしてやられました。

 

これぞ環境先進国!

文庫版の解説を担当された生命科学者の仲野徹さんは、本作について「民俗学の本として読まれるべきだと思った」と書かれています。

もう少し細分化し、冒頭の環境云々に繋げれば、これまで自然とどう生きてきたか、これから自然とどう生きていくかといった環境民俗学の側面も大いに備えていると言えそう。

ブータン国王夫妻が来日した2011年、国民総幸福量(GNH)を尊重するかの国の政策が日本でも脚光を浴びました。GNH政策の柱は、①持続可能で公平な社会経済開発、②環境保護、③文化の推進、④良き統治の4つ(在東京ブータン王国名誉総領事館のHP参照)。

就労人口の大半が農業に従事し、農業が重要な位置を占めるブータンでは、化学肥料がほとんど使われていないらしいです。

理由は化学肥料を導入すると、外国に依存せざるを得なくなるから。発端は何であれ、それが結果的に伝統農法自然環境を守っているのは確か。

本作のなかで触れられているお香の採取と販売方法も然りです。かつては個人が好き勝手に売っていたお香を、農業省森林局が村人に協同組合を作るよう促し、採取方法、管理方法、マーケティング方法、販売・流通方法まで細やかに指導。これにより乱獲仲買人の中間搾取の問題が解消されたみたいです。

化学肥料を使わない話にしろ、お香の販売システムにしろ、GNHの4本柱を実現し、国民の生活自然環境も両方バッチリ守れているのって凄くないですか? 世界に先駆けてカーボン・ネガティヴを達成したエコロジー最先端国の実力は伊達じゃありません。

また、SDGsと関わりの深い生物多様性の概念も、ブータン人の殺生観と絶妙にリンク。ブータン人にとって大きくても小さくても命は命。日本に住むブータン人の多くはイクラ数の子などの魚卵類が食べられないとか。

生物多様性で重要視されているのは種の数(多様性)だ。種の数=個体数ではないが、大きさより数が大事という点では似通っている。少なくとも「パンダ一種とカビ一種が同じ価値をもつ」と生物多様性的に説明したとき、日本人は「は?」と思うが、ブータン人ならすぐ納得できる。

 

「世界一幸せな国」の真実

雪男やチュレイにまつわる不思議な噂も相俟って、高野さんは文中でたびたびブータンの辺境地を柳田國男の『遠野物語』と重ね合わせています。

いまも普段使いされているドテラそっくりな民族衣装のせいか、私もブータンと言えば『まんが日本昔ばなし』っぽい世界観を真っ先にイメージしますし、実際に現地を訪れた方のブログを読んでも「日本の原風景」「古き良き日本」的な表現が目立ちます。

それゆえ、タイトルにある未来国家ブータンの言葉の組み合わせに、刊行当初、良い意味で違和感を覚えたものです。

でも、蓋を開けてみたら間違いなくブータンは未来国家でした。環境保全対策に留まらず、英語教育も、地方統治の構造も、医療制度も、日本よりはるか先を進んでいます。

現在、オーバーツーリズムで喘ぐ我が国に対し、ブータンでは1970年代に外国人観光客を受け入れて以来、「高品質な旅を少数の人に(High Value, Low Volume)」をスローガンに掲げた政策を実施。ただし、高野さんはこんなふうにも綴られていました。

そこに私たち日本や他の世界の国の未来があるわけではない。なぜなら私たちはいくら時間を費やしてもブータンには追いつけない。あるいは戻れない。私がブータンに感じるのは、「私たちがそうなったかもしれない未来」である。

諸外国の影響を鎖国というかたちで可能な限り排除し、独自の改革を推進してきたブータン。インドと中国に挟まれた小国は、こうでもしなきゃ主権国家として存続できなかったのでしょう。

ちなみに、「化けの皮を剥がしてやりたい気持ちにかられた」と、完璧にも思えるブータン粗探しを高野さんが始めるのも大きな見どころ。

毒人間首斬り人など、「これって本当に21世紀の出来事?」と驚愕必至のネタも飛び出しつつ、ここでの紹介は割愛します。

とにもかくにも、発売された当時、一部でかなりの話題を呼んだ『未来国家ブータン』。干支が1周し、ますます世間の環境意識が高まるなかで読み返すと、初見の時とはひと味違った学びを得られる1冊です。

節電や節エネルギーを一例に、地球に良いことは相応の努力が必要だと感じていたけど、私は今回の読書体験を通じて、自然と人が無理なく共生している場所も地球上にはちゃんと存在しているんだな~と改めて思い知らされました。

※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。

www.shueisha.co.jp

 

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