「パリってやさしくないよね。“優しく”ないし、“易しく”ない」。これは前回ご紹介した川内有緒さんの『パリでメシを食う。』に出てくる男性起業家の言葉。
パリで活躍する日本人10組を追った同作では、他にも「最初のうちはパリなんて大嫌いだった」と口にしている方がけっこうな割合でいました。しかし、それでも皆さんはパリに住み続けようと決心されたわけです。
観光地としてではなく、暮らす場所としてのパリの魅力って何だろう? 私の中でこんな疑問が湧きました。そこで、今回はタイトルもドンピシャな『それでも住みたいフランス』(2006年/新潮社)を選んだ次第です。
優雅でオシャレ……ではあらず?
著者の飛幡祐規さんは18歳で渡仏し、後にフランス人男性と結婚したジャーナリスト/エッセイスト。フランス文化研究家の肩書も持ち、本書が出た時点でパリ在住歴は30年強。パリについて、フランスについて知りたい私には、最高のガイド役になってくれそうです。
飛幡さんの文章は、ご自身の体験をベースにした主観的な部分と、数多のデータも活用しながらエビデンスに基づいた客観的な部分のバランスが絶妙。わかりやすくて説得力があり、さらにはガツッと気骨があるというか、ビシッと一本筋が通っている印象を受けます。
『それでも住みたいフランス』にしたって、イラストレーターの寺坂耕一さんが手掛けたポップでキュートな表紙とは裏腹に、中身は雄々しく(※あくまでも個人の感想です)、優雅でオシャレなパリといったパブリックイメージを良い意味で裏切ってくれます。
これ以前の作品と本作との大きな違いは、フランスの教育についてかなりの文字数が割かれている点でしょう。
「わたしが日本を出ようと決めた理由のひとつは、日本の教育システムに対する反発だった」と回想されている飛幡さんは、渡仏から約20年後に第1子を授かり、同国の教育システムに触れる機会を得ます。
ラ・フォンテーヌ寓話で学ぶ社会の不条理
教育に関する章を読んで、教育が人を作り、人が国を作るんだな~と改めて感じました。例えば、日本の幼稚園にあたる幼学校では、朝から夕方まで8時間も歌やお遊戯、工作、体操などを習うとか。
お昼寝の時間があるのは3歳児の年少組のみ。教室の滞在時間は日本の小学校高学年と同程度です。〈小さいうちからハードすぎやしないか?〉とも思いつつ、子どもたちは早くに家庭外での共同生活を学び、幼学校の存在が親離れや子離れに繋がっていると著者は分析。
ちなみにヴァカンスが長いぶん、子どもとの時間は(取ろうと思えば)しっかり取れ、育児を行政に丸投げしているという話ではありません。何にせよ、幼学校の実態を知るにつれ、同国の個人主義は幼いうちから培われていることがわかります。
幼学校の次に進む小学校では、17世紀に書かれた『ラ・フォンテーヌ寓話集』を勉強するフランスの子どもたち。日本に置き換えると、『伊曽保物語』を習うみたいなニュアンスになるのでしょうか(小学生で古文か……)。
時に残酷で時に滑稽、ユーモアもペーソスもたっぷり含み、解釈次第では非道徳的と言えなくもないラ・フォンテーヌ寓話。勧善懲悪や因果応報的な世界観を大事にしてきた日本の教育からはズレる気がします。
でも、社会に出ればいろいろな人がいて、人生は往々にして世知辛いもの。妙に美化された子ども向けの夢物語ではなく、世の中の不条理と向き合わせるカリキュラムに、フランスらしさを見た思いです。具体的には、なかなか単純明快なハッピーエンドで終わらない仏映画のルーツが垣間見えたり……。
読む・書く・話す
そのラ・フォンテーヌ寓話集も登場する仏語の授業では、読む・書く・話すを徹底。ある課題図書を読んだら、自分なりに解釈し、みんなの前でそれを発表する、といった具合です。
私の学生時代に行われていた国語の授業は、圧倒的に〈話す〉が欠けていました。音読はさせられたものの、自分の言葉で何かを述べさせられた記憶はあまりありません。強いて挙げると弁論大会くらい? まあ、それとてクラスで選ばれた代表生徒に限られますもんね。
そりゃ、一定世代よりも上の日本人はディベート下手になりますって(※現役小学生の姪によると、現在のカリキュラムは〈話す〉も重視されているらしいです)。ただし、フランスの言語教育には〈聞く〉が不足していると指摘する飛幡さん。
フランス人は議論好きとか言われるけれど、相手の話をよく聞かずに自分の意見だけ言い続ける人がけっこういて、本当の意味でのディスカッションにならないことがある。会議や会合がやたら長引いてしまうのも、各自に「時間内にひとつの結論に到達させよう」という意識が低いからではないだろうか。
前職で某フランス人アーティストのインタヴューに同席した際、こちらの質問はお構いなしで好き放題にしゃべり、しかも1つ1つの話がとにかく長い点に、めちゃくちゃ驚いたことをふと思い出しました。
もちろん、人それぞれ個人差があるのを大前提に、自分の実体験と本で読んだ内容が一致した瞬間の気持ち良さったらないです。焦りまくっている周りのスタッフを横目に予定時間をダイナミックにオーバーしてしまった取材相手の言動も、何年か越しで少し理解できました。
心のゆとりを優先させる
さて、『それでも住みたいフランス』では、教育のほかにも、お金の使い方、アートとの距離感、ワーク・ライフ・バランスについて言及。生活を豊かにするためのヒントが、随所に隠れています。
なるべくモノは買わない。1つのモノを長く大事に使う。自分で作れるモノは自分で作る。ヴァカンスはゆったりくつろぐ――。
本書が出版されて15年強の間に、日本でも家庭菜園やブリコラージュ(DIY)がブームを超えて定番化したり、働き方改革が進んだり、使い捨てを嫌って地球環境に配慮した暮らしを求める方がずいぶん増えています。
2000年代初頭にスロウライフなる言葉が流行りはじめた時は、そういうライフスタイル全般を、あらゆる面で余裕のある人が実践する、ちょっとオシャレなタグ的な感じで受け止めていました。どこか他人事だったんです。
ところが、日本全体がアメリカ型の大量消費社会からヨーロッパ型にシフトしている様子は、フォーエバー21やアメリカンイーグルなど海外のファスト・ファッション系アパレルが次々と撤退したのを一例に、いまや一般庶民の私ですら身近に感じられています(※海外アパレルの撤退はユニクロのボロ勝ち状態のせいでもありますけどね)。
物質的なゆとり以上に精神的なゆとりを優先させる傾向は、このコロナ禍でさらに加速しているのは言わずもがな……なのかな? 少なくとも私は、食事の時間をのんびり楽しむとか、幸せの方向性が大幅に変わりました。
フランス流の人生を豊かにするコツは、わりと前に流行したジェニファーL・スコットさんの『フランス人は10着しか服を持たない』(2014年)や、吉村葉子さんの『お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人』(2007年)にも書かれている通りで、このあたりの書籍を改めて読み直すと、コロナ前とはまた違った受け止め方ができるかもしれません。
フランス流個人主義
とはいえ、手放しでフランスを素晴らしいとは思っていませんよ。〈自由、平等、友愛〉をスローガンに掲げているわりに、フランス国内の格差は広がる一方。
優れた教育カリキュラムが組まれていても、貧困地域ではなかなか浸透せず、社会階層は日本よりも明確に、そして無慈悲に存在しています。
冒頭の「パリってやさしくないよね。“優しく”ないし、“易しく”ない」が、ここへきて繋がってきました。パリは、フランスは、厳しいし、難しい。だけど……。
わたしに住みつづけたいと思わせるフランスの魅力とは、お金では買えない、ひとことで言ってしまっては空回りするような、成熟した、したたかな精神である。それは、たえまなく対立・抗争を重ねた歴史の重みから生まれ、数々の矛盾を呈しながらも、しなやかなユーモアを編みつづける。幼稚きわまりない二元論がのさばる今、このしぶとさとユーモアこそ貴重なのではないだろうか。
『それでも住みたいフランス』から私が一番学んだのは、自分とは立場の異なる多様な他者を認め、共存していく受容性や柔軟性の大切さ。
このご時世いろいろあります。ワクチン反対派と賛成派の対立をTwitterで見るたびにうんざりします。第三次世界大戦にも繋がりかねないプーチンのウクライナ侵攻に関しては、うんざりどころじゃ済みません。
こういう時代だからこそ自分自身をもっと愛し、同じくらい隣人を労り、理解を示し、ユーモアと心の余裕を忘れず、半径5メートル以内の平和も世界の平和も同時に実現していきたいものです。
※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。
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