FAR-OUT ~日本脱出できるかな?~

旅のこととか、旅に関する本のこととか。

宮田珠己『東南アジア四次元日記』|読書旅vol.91

2010年発売の『世界一蹴の旅 サッカーワールドカップ出場32カ国周遊記』に感化され(※詳しくはこちら)、私も読書を通じて目前に控えたW杯出場国を疑似旅行しようと、手始めに日本が戦うグループEからドイツとスペインに関する本を直近2回で紹介しました。

しかし、我が家の本棚には2戦目の相手国=コスタリカに特化した書籍もなければ、開催国であるカタールの本もありません。

すっかりやる気の失せた私は、W杯出場32か国の踏破(読書で)をあっさり諦め、いつもの調子で旅情を掻き立ててくれる作品を、何の脈絡もなく気の向くままに取り上げていくことに決めました。無理はするもんじゃないです。

 

旅に出るため会社を辞めた

そんなわけで、宮田珠己さんの『東南アジア四次元日記』(1997年/旅行人)。2001年に文藝春秋から文庫化もされている本書は、宮田さんにとって2作目となる紀行エッセイです。

処女作『旅の理不尽 アジア悶絶篇』(※詳しくはこちら)は、まだサラリーマン時代に限られた休みを活用し、アジアと日本を行き来していた頃の周遊記でした。

一方、その2年後にお目見えした『東南アジア四次元日記』は、「旅に出るため、先日、会社を辞めた」の一文から始まります。

お~、カッコイイ書き出しじゃないですか。果たして、借りていた部屋を解約し、自由の身になった宮田さんは、時間無制限※予算は制限あり)の東南アジア旅へ出発するのでした。

考えた旅のルートは、香港からホーチミンへ飛んでベトナム南部を回ったあと、カンボジアを往復し、今度は北上してハノイまで行ってからラオスへの国境を越え、ラオスを通り抜けたら、タイ北部からミャンマーへ突入し、最後はマレー半島を縦断するというものである。これをなるべくならホーチミン以降のインドシナ半島マレー半島部分は全部陸路で行こうと思う。時間のないサラリーマンだった私にとって、陸路で国境を越えながら行く旅はささやかな夢なのである。予定通りに行けば、私は十回、国境を超えることができる。

東南アジアの地理に詳しい人なら〈このルート、微妙に効率悪くない?〉と思うかもしれません。でもマイペンライ。何せ時間は無制限なのですから。

なお、ホーチミン以降をすべて陸路で行く計画ミャンマー手前で早々に頓挫。その後は「一度飛行機に乗ってしまえば、もはや陸路には何のこだわりもない」と、軽やかに方針転換します(私もとやかく言える立場じゃないけど、それでいいのか?)。

ついでに、いろいろ巡っているにもかかわらず、けっこう話をすっ飛ばしていて、いきなり遠く離れた村にワープしていることも多々。フエルアンパバーンのような世界遺産のある土地もさらっと一言立ち寄った事実を知らされるのみだし、最後2か国のマレーシアシンガポールにいたっては2ページ弱にギュッと凝縮。

脱サラして挑んだ初めての長期旅行ですからね。さぞかし感動のフィナーレになるかと思いきや、ちっとも読み手に余韻なんぞは味わわせてくれません。

 

宗教は遊園地である

じゃあ、何が書かれているのかと言うと、ヘンテコなセメント像が居並ぶ庭だったり、お寺の横にある迷路築山だったり、盆栽だったり……。

マレーシアとシンガポールの記述は2ページ弱で終わらせるくせして、ナッミャンマー民間信仰)に関する言い伝えは、いくつかの例を挙げて細かく解説。完全におかしな紙幅バランスになっております。

80近い挿画の大半を占めるのも、脱力度100%超えの不思議なオブジェ。いや、ホントに何なんですか、宮田さん。

ちなみに、表紙に飾るのはミャンマーピッタインダウン。七転び八起き的な意味を持つ縁起物で、現地ではお手頃サイズ版がそこら中のお土産屋で購入可能。

私も知人の引っ越し祝い用に以前ヤンゴンでゲットした旨を追記しておきます(※写真上/贈られた相手が喜んだかどうかは不明)。

香港のタイガーバームガーデンにはじまり、ノンカイのワットケクビエンチャンブッタパーク※どちらも奇才ルアンブー・ブンルア・スラリット師が建立)、ミトーにあるココナッツ教団の元施設、バンコク近郊の地獄寺など、スキモノにはたまらない名所(迷所?)を次々と訪問。その過程で宮田さんは〈宗教は遊園地である〉との持論を打ち出します。

宗教が遊園地だというのは、それが布教、言わば客寄せのためにそうしたという意味ではない。そういう理由もひょっとしてあるかもしれないが、私が言いたいのは、救いを求める心も、遊びに行きたい気持ちも、その奥底にはどこか別の世界へ行きたいという共通点がありそうだ、ということである。その心理的な類似性が、宗教施設と遊園地を似させてしまうのではないか。

苦しい現実から逃れたい→どこかへ行きたい→でも遠くは大変だし面倒くさい→てっとり早く行けるところで、なおかつ現実から遠く離れた場所へ行きたい→遊園地でも行くか(宗教にでも入るか)→そうしよう、という発想だ。そう考えていくと、つぎは連れていく女の子をどうするか、という問題になるが、それについては宗教より重要な問題なので別にじっくり検討してみたい。

失礼。最後一文の引用は余計でしたが、この宗教は遊園地である説、わかるような、わからないような、深いような、深くないような、そもそも真剣に考えるほどのお題ではないような……。

そして、別世界への妄想を誘う仕掛けが満載の場所を著者は四次元レベルの高いスポットと捉え、『東南アジア四次元日記』なるタイトルになった……みたいな話だった気もしつつ、そのあたりは再読した傍から忘れました。だいたい四次元レベルの高いスポットって何よ?

思えば、宮田さんはルアンブー師が建てた謎の建築物を前に、「これは寺の本殿であり、祭壇なのだろうか。それとも住居か」と頭を抱え、続けて「だが、もう私は追求しないことにする。これはこういうものなのだ」と綴られていましたっけ。

私も著者に倣い、ヘタな追求はしないことにします。『東南アジア四次元日記』はこういう本だと割り切りましょう。今回は以上です。

※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。

books.bunshun.jp

 

【お知らせ】東南アジアで買い付けてきたアイテムを販売中。春夏は水着やリゾート服を中心に、秋冬はアクセサリーを中心にラインナップしています。ぜひチェックしてみてください。

farout.theshop.jp

 

ランキング参加中。ぽちっとしていただけたら嬉しいです。

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村