前回の酒と肴をテーマにした紀行文『世界ぐるっとほろ酔い紀行』に続き、今回ピックアップするのは奥田英朗さんのエッセイ『港町食堂』(2005年/新潮社)です。秋真っ盛り。食欲が止まりません。
直木賞受賞もおかまいなし?
この『港町食堂』は雑誌『旅』での連載を単行本化したもの。奥田さんが同誌で連載を受け持っていたのは2004年というから、『空中ブランコ』で直木賞を獲った年にあたります。
「奥田さんには港町を探索してもらって紀行文を書いていただきたいんですよ。それで、港には毎回船で入りたいんです」との編集者の提案に対し、「おもしろそうですね」と社交辞令的に素っ気なく応えたつもりが、いつの間にか了承したことになっていたとか。
かくして始まった港町巡り。編集者数名とカメラマンを同行させた人気作家の取材旅となれば、大名旅行のような画を思い浮べてしまいますが、どっこい、船内で個室を用意されたのは初回のみ。直木賞作家の仲間入りを果たした直後の取材ですら、大先生は大部屋で雑魚寝です。
この業界はN木賞を獲るといきなり待遇がアップするという通説がある。もしかして受賞後初の今回は個室かも、という予感がわたしの中にかすかにあった。しかし新潮社はN木賞などおかまいなしだ。あくまでも私を「仲間」として扱おうというのである。この平等精神をわたしは高く評価したい。
愛情たっぷりの皮肉はともかく、この〈仲間〉の存在が本書には欠かせません。知らぬ間に地元ギャルと連絡先を交換するなど異様にコミュ力の高い編集チームと、へそ曲がりでちょっと偏屈な作家先生。
まったくもってキャラクターの異なる面々がワイワイやっている様子に、だいぶテイストは違えども、椎名誠さんの〈怪しい探険隊〉と似た魅力を感じた次第です。
ちなみに、奥田さんは『港町食堂』の連載が始まる約2年前にも、小説誌『小説宝石』で紀行連載を執筆。『野球の国』(2003年)や『泳いで帰れ』(2004年)にて書籍化済みの同連載では、編集者に促されるまま一人でしぶしぶ各地を訪れる姿が印象的でした。
しかし、如何せんへそ曲がりな性格ゆえに『港町食堂』でもしぶしぶな空気を出しつつ、あくまでもそれはポーズであり(たぶん)、何だかこちらはずいぶんと楽しそう。読んでいる私まで輪に加わりたくなります。
先生は食レポが苦手?
高知県の土佐清水、長崎県の五島列島、宮城県の牡鹿半島、韓国の釜山、新潟県の佐渡、北海道の稚内と礼文を巡る御一行。各地の観光名所にもしっかり訪れます。
例えば、旧五輪教会ではキリシタンを激しく弾圧した時の権力者に怒りを覚え、トキ保護センターでは野生動物の保護の是非を問い、女川では原発の誘致によって潤った町を見て自分が住民だったらどうするか思考。
柄にもなく(失礼!)コンシャスなトピックにも要所で斬り込んでいくものの、結局のところ私の頭に残ったのは土地土地の郷土料理です。
タイトルに〈食堂〉と付いている以上、当初から食にフォーカスしていたんでしょうけど、それにしたって6度に渡る旅で奥田さんは毎回2キロ前後増量していたというから、いやはや……。
しかも凄いのが、かなりの文字量を食に割いているにもかかわらず、当人が早々に食レポを半ば放棄している点です。
すぐにぼろが出るだろうから、最初に告白しておきます。わたしゃ比較評ができるほどのグルメじゃありませぬ。目隠しされたら養殖と天然のちがいもわからない。ワインの銘柄などまず当てられないだろう。
ええと、もう少し正直に書きましょうか。はっきり言って味覚オンチです。緑色のペーストを「これはアボカドだね」と気取って口に運んでいたら、実は空豆でご婦人に笑われたことがある。ワインをテイスティングして思うことは、ソムリエの野郎、あの角を曲がったらきっと笑い出すに決まっている、だ。わたしは舌に自信がないのである。
本編の中でも、北海道で食べた〈貝の和え物〉が絶品で、店主に何の貝か質問したらタコだった……という信じ難いエピソードを披露。
さらに驚くべきは、具体的な味ついてはほぼ書いていないのに、出てくる料理、出てくる料理、すべてがめちゃくちゃ美味しそうなんです。
漁港にある定食屋で出された熱々のお味噌汁とか、注文を受けてから女将さんが港まで仕入れに行った鮮度抜群のイカ刺しとか。
回りくどく感想を述べるのではなく、状況を伝えて読者に味をイメージさせるスタイル。私にはよっぽどこの方法のほうが美味しそうに感じました。読書ブログからまた旅ブログに戻した暁には、奥田式を模倣してみようかな。
旅の醍醐味
さて、満腹になった奥田さんと愉快な仲間たちが夜な夜な繰り出すのは、小洒落たバーではなく地域密着型のスナック。
言ってしまえば、飲んで、食って、たまに観光を挿むくらいで、大した事件は起こりません。でも、それでいいんです。そこが面白いんです。
「一人で未知のスナックに入るなんて、わたしにはできない芸当である」と綴られている通り、同行者のおかげで半ば強制的にいつもとは違う行動をとりながら、普段は都内の自宅にこもって不健康な執筆活動を粛々と行っている作家さんが、束の間の非日常を味わい、そしてまた日常に戻っていく……。
私自身、一人旅は苦手で、〈旅=誰かとするもの〉と捉えているせいか、旅の醍醐味がこの本の中にギュッと凝縮されているような気がしました。ついでに、コロナ以降、すっかりインドア派になった私には、以下の一節に激しく頷いています。
不精者ほど、漂泊の思いが強いのをご存知か。わたしがそうである。知らない土地の話を読むのが大好きだ。地図を眺めていて退屈しない。窓から見える遠い空に思いをはせている。居間のソファでごろごろしながら。
世界周遊系をはじめ、真似したくてもなかなか真似できない、ある意味、いまの自分とはかけ離れたタイプの紀行エッセイをついつい手に取りがちですが、たまにはこういう共感性の高いお手頃な旅の本を読んでみるのもいいものです。
※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。
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