FAR-OUT ~日本脱出できるかな?~

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水木しげる/村上健司『水木しげるの日本妖怪紀行』|読書旅vol.64

何だか妖怪づいています。前回の『アジアもののけ島めぐり―妖怪と暮らす人々を訪ねて』はバリ、ランカウイ、沖縄、ボルネオを舞台にしていましたが、沖縄のみならず、日本にも全国津々浦々たくさんの妖怪がいるはずだよな~と。

ならば今度は日本妖怪めぐりをしてみようといった具合です。そこで思い出したのが『水木しげるの日本妖怪紀行』(2006年/新潮文庫)。日本の妖怪を語る上で、妖怪研究の第一人者である水木しげる先生を外すわけにはいきません。

 

実用的なガイドブック

文庫オリジナルで刊行された『水木しげるの日本妖怪紀行』の本編は、①まず見開きいっぱいに水木先生が書き下ろした妖怪の挿画がドーンと現れ、②次の見開きでその妖怪の概要水木先生による解釈を掲載。さらにページをめくると、③探訪ガイドなるコーナーがこれまた見開きで登場します。

この①②③を1つの塊に、合計49の妖怪が紹介されていくというのが本書の構成。挿画のインパクトがとんでもないため、これはぜひ文庫サイズじゃなく、A4判くらいの大きさでも拝見してみたいもの。

今年は水木先生の生誕100周年記念企画が各所で行われていますし、その流れで本作もぜひ特装版としてリイシューされてほしいです。もちろんカラーにしなくて大丈夫です。モノクロのほうが、かえってイマジネーションを刺激されますしね。

それはともかく、『水木しげるの日本妖怪紀行』のなかで私的に外せないポイントだと思っているのが、③の探訪ガイドです。

2002年作『ゲゲゲの鬼太郎謎全史』や2005年作『日本妖怪大事典』をはじめ、水木先生絡みの著作でも名を馳せる妖怪ライターの村上健司さんが担当された③の探訪ガイドは、②の補足(説話をもとにした時代背景や類似妖怪の紹介など)に加え、その妖怪ゆかりの地へのアクセス方法を記載。

例えば、大坊主が出現したという鳥取県鳥取市徳尾の森については、〈鳥取駅から歩けない距離ではないものの、訪れる際はタクシー利用が無難〉なんて一言メモが添えられ、長壁が棲む姫路城の項目では、〈姫路城には皿屋敷のお菊井戸もあるので、併せて見学しておきたい〉との耳より情報も。

はたまた、児啼爺(こなきじじい)の故郷である徳島県三好市アザミ峠に建てられた石碑までのへの行き方は、〈道に間違えやすいので、訪れる際には地元の方に場所を聞いた方が無難だろう〉とアドバイス

特別な能力でもない限り、多くの人にとって妖怪は己の目で確認できない現実離れした存在じゃないですか。

ところが、この探訪ガイドがやけに実用的で、〈ここへ行けば怪異体験できるのかな?〉と妙な期待を膨らませてしまう自分がいます。

 

鬼太郎とも馴染み深い妖怪たち

児啼爺の話が出たついでに、作中では一反木綿、砂かけ婆、塗壁、一つ目小僧をはじめ、『ゲゲゲの鬼太郎』と馴染みの深い妖怪たちも続々と顔を出します。

てっきり全国区の妖怪だと思っていた一反木綿が、鹿児島のごく一部で伝えられてきたもので、現存する資料も乏しく、さらには布状の化け物自体がかなりレアであると知って驚きました。『鬼太郎』シリーズの影響力はハンパじゃないです。

そもそも白い布がヒラヒラと宙に浮いている状態を見て、妖怪だとは思わないですよね。〈よそのお宅の洗濯物が飛んできたのかしら?〉みたいな。

いや、昔の人の想像力は凄いって言いたいんじゃありませんよ。全国各地で〈洗濯物が風に流されているわね〉と思われていたものが、本当は一反木綿の仕業だったらおもしろいなと。えっと、私は何を言っているんでしょうか。

もう1つ鬼太郎繋がりで興味深かったのが、塗壁に関する項目でした。第二次世界大戦中に、水木先生は出征先で塗壁に遭遇したとか。

南方の前線にいたとき、夜、不意に敵に襲われ、僕はいつのまにか一人になっていた。おどろくやらあわてるやらで、早く日本兵のいる所へたどりつこうと暗いジャングルをさまよった(中略)。

前へ前へと進んだのだが、ある場所で僕は前に進めなくなってしまったのである。押してみると岩ではない。強いていえば、コールタールを固めた感じのもので、右に行っても左にまわっても前方へ進むことができない。もちろん、前は真っ暗で何も見えない。じっとしているのも怖いので、なおもがむしゃらに前へ行こうとするのだが、なんとしても進めないのだ。

水木先生が派兵された場所はニューブリテン徳島県高知県に現れたとされる塗壁がパプアニューギニアにもいたとはビックリです。

 

妖怪はいる? いない?

四国とパプアニューギニアほど距離は離れていないとはいえ、『日本妖怪紀行』を読んで、呼称こそ違えども、ほぼ同種と言って差し支えない妖怪が全国に散らばっている点も不思議でしたし、その逆で、西日本には広く伝承されてきた妖怪が東日本では一切知られていなかった点も不思議でした。

情報伝達手段が発達していない時代に、どうして日本の隅から隅まで同種の妖怪がいたのか。とは言いつつ、噂が噂を読んで全国区に怪談が広まったのなら、どうしてある地区を境にピタッといなくなる妖怪がいるのか。考えれば考えほど、願望も込みで妖怪は確かにいるのだろうと思えてきます。

奈良県伯母ヶ峰では、12月20日にだけ一本だたらが出現すると信じられ、長らく12月20日は絶対に山へ入らなかったらしいです。その一本だたらのものと見られる足跡が、2004年に和歌山県白浜町で発見され、地元紙を賑わせた話も夢があるじゃないですか。

伯母ヶ峰の入山自粛日を一例に、実際問題、妖怪たちは日本各地の風習伝統文化と密接に関係していて、決して無下には扱えないものだと感じています。

それなのに、暗闇を好む妖怪たちにとって、いまの日本の夜は明るすぎると思いません? 少なくとも都市部では妖怪が激減、もしくは絶滅している気がします。

こんな様子じゃ、人間の愚かさを理解しながらも決して私たちを見捨てず、警鐘を鳴らし続けてくれた鬼太郎タイプの妖怪すら、流石に呆れてどこかへ移住してしまいかねません。

〈目には見えないけど妖怪はいるだろう〉と思える心の余裕は常に持っておきたい気持ちやら、〈であれば、妖怪と共存していけるサスティナブルな環境を作っていかなきゃ〉っていう自戒の念やら、何やらかんやらが頭に浮かんできて、一向に感想文がまとまらず……さて、どうしたものか。

なにしろ、近頃は世の中が忙しいようだから、〈妖怪気分〉を味わうのは一種のゼイタクかもしれない。

水木先生は本書のあとがきを、このように結ばれていました。なるほど、〈妖怪気分〉を味わうのは〈ゼイタク〉なのか。妖怪についてあれこれ考えているいまの私は、とても〈ゼイタク〉な気分に浸っているのか。

もしかすると、このブログ記事の着地点がなかなか見えてこないのだって、妖怪が私にいたずらを仕掛けているせいかもしれませんね……とか、ヤバイ文章を書き出してしまう始末です。

こういう時は粘っても無駄。イイ感じに締められそうにないので、妖怪たちを見習って、跡形もなくふわっと消えることといたします(オチが激しくダサイ)。

※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。

 

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