FAR-OUT ~日本脱出できるかな?~

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よしもとばなな『なんくるなく、ない―沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか―』|読書旅vol.56

前回、小林聡美さんの『アロハ魂』を軸にハワイの話をしたものの、いくら渡航制限が解除されたとはいえ、やはり実際に現地へ行くのはまだまだ敷居が高め。コロナに加え、円安も悩ましい問題です。

そうした背景もあってか、本土復帰50年を記念したNHKの朝ドラ『ちむどんどん』が影響してなのか、もともと人気の高い沖縄が2022年の夏休みの旅行先として大きな注目を集めていると、先日某ネットニュースの記事で知りました。

そんなこんなで、今回は沖縄を舞台にした、よしもとばななさんの『なんくるなく、ない―沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか―』(2006年/新潮文庫)を取り上げたいと思います。

 

沖縄に宛てたピュアな恋文

文庫オリジナルで刊行された『なんくるなく、ない』は、短編小説集『なんくるない』(2004年)の取材日誌的な趣を持つ一冊。

良い意味でラフな筆致が、作り込まれた小説とはひと味もふた味も違う臨場感を醸し出し、読者に沖縄の素晴らしさをドーンッとわかりやすく伝えてくれます。

もっと言うと、ばななさんは本当に沖縄が好きで好きでたまらないんだな~というのを端々から感じる、さながらラヴレターのような仕上がりに。あとがきにはこう綴られていました。

この本は、読者のほうを向いているというよりは、旅で出会った人たちとの二度とない瞬間をどうしても書きとめたくて必至で追い掛けているところのほうが多くて、どうにもこうにもぎこちなく、申し訳ありません。

大作家よしもとばなな先生をも、ぎこちなくさせてしまうとは。流石は日本屈指のリゾート・アイランド。沖縄、恐るべしです。

 

1999年夏

始まりは1999年。ノストラダムスが人類滅亡を予言した年です。東日本に猛暑が襲ったこの夏は、全日空のハイジャック池袋通り魔殺人事件など、残忍なニュースがTV画面から次々と流れていました。

一方で、そんなニュースには我関せずと、まるで取り憑かれたように限定品や新商品を買い漁る若者たち(裏原では新しいストリート・ブランドが多数生まれ、渋谷ではまだまだギャルもイケイケだった時代ですよね)。そのアンバランスな社会の状態に、ばななさんは辟易されていたとか。

“水槽の水がくさってたら中の金魚がどんなに健康でいようとしても無理なように、土に植わっていない切り花はいくら水切りしても枯れていくように、自力の限界をしみじみ感じた夏だった”

“今年、暑いと呪いのように口にしながら、次の目的地に急ぐ人たちが、影うすい幽霊のように見えることがたくさんあった。暑い年もあれば、涼しい年もある、仕事がはかどる時もあれば、だめな時もある、無理してでもがんばりたい時もあれば、何をやっても無駄ながんばりになる時もあり、超人になれる時もあれば、ぐうだらになる時もある……その時々の環境の中で快適さを考えながら生きるのがだいご味だと思うのだが、もうみんな機能がこわれていて、無理しているみたいな感じだった”

最悪な気分で過ごした1999年の夏が終盤に差し掛かった頃、ばななさんは人生初の沖縄旅行へ。この旅のおかげで、枯れかけた心が元気を取り戻していきます。

嬉しいなあ、緑の山を見て目が喜んでいる、空気の濃さに肌が喜んでいる、そうだ、今いるところでは、生きているだけで、何かをもらうことができるのだ、何で返せとも言わず、ただどんどん与えてくれる。そして奪う時は命も含めて容赦なく奪う、そういう力の中にいると、と感じた。あまりにもそのことがありがたくて、恐ろしくて、人は自然を大切にしてきた。その中では激しいことはいくらでも怒るが、狂ったことは起こらない。

やんばるの原生林に、新鮮な食べ物に、地元の方々の優しさに、さらには霊的なあれこれに(!)活力をもらったばななさんは、すぐさま沖縄の虜となるのでした。

 

何度も、何度も

その後、2005年までの計7回(うち奄美も1回含む)に渡る旅の様子を収めた本書。妊娠中だった2002年に続き、2003年には行く先々で赤ちゃんに授乳、2005年にはその子がしゃべりはじめていて……といった具合で、著者を取り巻く環境がどんどん変わっていきます。

当然、文中に登場する周りの人々――カメラマンの垂見健吾さんや、石垣に移住した大学時代の友人まなみさん他――も、ばななさんと同じだけ年を重ねていくのであって、それぞれの人生が沖縄の地で交わり、またそれぞれの日常に戻り、そしてまた当たり前にように再会を繰り返す感じが、本当に素敵だなと思いました。

同じ土地に何年もかけて何度も訪れ、その思い出を日記形式で時系列に回想していく旅エッセイは他にあまり読んだ記憶がありません。なので、登場人物のライフステージが変化していく点も、本書の大きな特徴じゃないかと、私は捉えています。

加えて、たびたび沖縄を訪問しているうちに、普通だったら多少なりとも我が物顔になっておかしくないというか、第2の地元感を漂わせてしまいそうなところを、あくまでも旅人のスタンスを貫くばななさんの文章には、終始、沖縄にお邪魔させてもらっている雰囲気があって、そこが印象的でした。

これらの旅から生まれた短編集『なんくるない』も、離婚した女性が沖縄に訪れて心の傷を癒していく表題作をはじめ、すべてよそ者から見た島の話。収録された4篇の中に生粋の沖縄っ子を主人公にした物語は1つも存在しません。

通りすがりの旅人から見た沖縄と、移住者から見た沖縄と、先祖代々、その土地で命を繋いできた人たちから見た沖縄は、おそらく異なるのでしょう。どうやっても踏み込めない部分だって絶対にあると思います。

小説然り、このエッセイ然り、そこに無理矢理立ち入ろうとしないあたりに、著者が抱く沖縄への畏敬の念大きな愛を感じました(私の思い違いかもしれないけど、たぶん大ハズレではないはず)。

 

憧れの地、沖縄

……と、ここまでいろいろ書いてきて、最後に白状します。私は過去一度も沖縄に行ったことがありません。食べ物も、音楽も、気候も、景色も、好きになる要素しかないのに、ことごとくタイミングを逃してきました。

ここ数年を振り返っても、レゲエ・バンドを組んでいた頃のツレは、定期的にライヴと合宿を兼ねてメンバーと沖縄本島&離島へ通っていて、私も一緒に行けるチャンスはいっぱいあったんです。でも、仕事を理由に断っていました。

無理してでも行っておけばよかった、と悔やまれなくもないです。だけど、無理してでも行こうとしなかったのは、きっと沖縄に呼ばれていなかったから。

絶対にいつかは沖縄へ行くだろうと、ずっと思い続けてきました。沖縄民謡のCDも有名な作品はわりとチェックし、久保田麻琴さんが発掘&再発した沖縄古謡集も折に触れてよく聴き返しています。

で、想いが募ってハードルばかりが上がり、いつしか私の中ではふらっと軽い気持ちで行ける場所ではなくなってしまった沖縄。

しかし、コロナ禍でなかなか国外へ出られない状況が2年も続き、なおかつ、まだしばらく移住も先延ばしになる未来が鮮明に見えてしまったいま、〈いつか行くだろう〉の〈いつか〉が、いままでにないほど近付いている気配を感じています。

てか、〈ごちゃごちゃ言ってないで行ってこいよ!〉って話なんですかね。移住資金を死守しつつ、コロナ収束を待つ生活にも少し疲れました。派手に遊びたい。

何にせよ、こういうちょっと疲れたモードで『なんくるなく、ない』を手に取ると、かつて作者が沖縄に癒されたように、私もこの文章からパワーをもらえます。

ぜひ皆さんも、よしもとばななさんの強烈な沖縄愛が生み出すポジティヴなエネルギーに、触れてみてはいかがでしょうか。

※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。

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