FAR-OUT ~日本脱出できるかな?~

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椎名誠『ロシアにおけるニタリノフの便座について』|読書旅vol.53

前回ご紹介した嵐よういちさんの『おそロシアに行ってきた』からの流れで、椎名誠さんの『ロシアにおけるニタリノフの便座について』(1987年/新潮社)を取り上げずにはいられませんでした。

と言っても、昨今のウクライナ情勢に絡めた話は一切抜きです。そもそも『おそロシアに行ってきた』も、本来は概ね楽しく読める一冊なのに、こちらが勝手にあれこれ考え、あんな感じの感想文になってしまいました。ちょっと反省しています。

 

ロシアのトイレ事情

おそロシアに行ってきた』の本文では、複数の章に跨ってロシアのトイレ事情が報告されていました。また、以前にピックアップした米原万里さんの『ロシアは今日も荒れ模様』にも、トイレの話が登場します(※詳しくはこちら)。

どうやらロシアの公衆トイレはとんでもなく汚いらしいです。嵐さんや米原さんの著書以外でも、この件について書かれた原稿を1度や2度ならず、けっこう目にしてきました。公衆トイレ問題は旧ソ連/ロシア旅行記鉄板ネタっぽいですね。

なかでも群を抜いて映像喚起力の高い作品が、本稿の主役である『ロシアにおけるニタリノフの便座について』。ロシア古典文学の重厚さ憂愁さを仄かに踏襲したと思えなくもないタイトルとは裏腹に、中身はめちゃくちゃくだらないです。

順を追って説明していくと、TBS開局30周年記念特番『シベリア大紀行』のレポーター役を任された椎名さんは、2か月間に渡って極寒のロシアを旅することに。

午前11時頃にやっと夜が明け、午後2時には日が沈んでしまうという極夜一歩手前みたいな状況で、椎名さんと撮影クルーは長い夜の退屈しのぎに、ロシアっぽい名前を各々付けていきます。

ラーメン好きで滞在中に居眠りばかりしていた椎名さんは、アキレサンドル・シナメンスキー・ネルネンコ。撮影に没頭するあまり何度も地元警察に尋問され、集合時間に遅れがちだったカメラマンの山本皓一さんはオクレンコ。いつもにこやかな技術スタッフの新田隆さんは、ニコリノフから転じてニタリノフといった具合(ニタリノフに変わった途端ムッツリ感が凄い)。

そんな似非ロシア名を仲間同士で授け合った御一行が泊まるヤクーツクのホテルには、どの部屋もトイレの便座がなかったのだとか。どうして便座がないのか? どうやって用を足すのが正解なのか? 大の大人がこの謎に迫るべく、連夜、熱い議論を交わしていきます。

そうこうしているうちに、手先の器用なニタリノフが発泡スチロールで自前の便座をこしらえる……といったお話。それ以上は何も起こりません。

 

深く考え込みたくなる汚さ?

その本編に出てくる、シナメンスキーが遭遇したロシアの公衆トイレの説明文を以下に引用したいと思います。ちょっと長いです。

先述した通り、映像喚起力が非常に高い文章のため、イマジナティヴな方はどうか読み飛ばしてください(吐いちゃうかも?)。

私のあけたドアの先は日本ふうに言うと男便所と女便所がそれぞれタタミ半畳ほどのスペースで続いていた。女便所は一段高いところにあり、真ん中にしゃがみ式の便器があった。問題はそこに散在し堆積するおびただしい糞の山であった。あるものは暗黒色にひからびて固まり、あるものは円形状にだらしなく広がり、あるものは暗赤茶緑オウド色といったあんばいのまことに複雑な色配合混濁ぶりをみせて横たわり、またあるものは灰色の紙にくるまって台地の上からぐいんとその半分ほどを突き出し、虚空に身をよじっていた。

それらの糞の堆積物は女便所の台地から下に流れ落ち、そこにもまたいくつかの円型古墳状の盛りあがりを見せてじっとうずくまっていた。私ははじめこの便所のあまりの汚さに、ここはいまは使われていないアカズの便所のようなものではないか、と思った。しかしドアはそっくり気前よく開いてしまったし、つい今しがた誰かが使用したらしい気配というものがあった。

「うう、うう」と、私はしばしおのれの次なる動きを忘れてひくく唸った。

「しかしそれにしてもただごとでない」と私は思った。どうやったら人間がここまで便所を汚すことができるのだろうか、ということについて深く考え込みたくなるような光景であった。なにかこの便所に特別の悪意もしくは怨みを持った一族が命がけで汚辱攻撃をくりかえした、というようなことを考えたくなるような光景でもあった。とりわけ奇怪なのは、せっかく中央に便器があってそこに蠱惑的な穴があいているのに何故そこを使用しないのだろうか、ということであった。この便所を使用した人々はみんなして便所の基本的な形態とその一時的使用法といったものをまったく理解していないのではないかとも思えた。ドアをあけて中に入ったらとにかくやたらにそのへんにしゃがみこんでコトをすませてきた、と考えないかぎり、その惨状の生成過程を説明することはできないような気がした。二ヶ月間、シベリアを横断しているあいだに見た町の中の公衆便所は大なり小なりみんなこんな具合だった。

この文の直前に、「どう汚かったか。筆舌につくしがたいとはこのことで、いくら微細詳細に文字を書いてもその時の迫力と壮絶さは百分の一もつたわらないとは思う」と前置きされていますが、いやいや、迫力壮絶さは十分に伝わりました。

椎名さんが訪れたのは冬の時期。これがもし暑い季節だったら臭いだって……とか。ダメだ。私がえずいてしまう前に、このあたりで止めておきます。

 

果てしなく広がるトイレ談義

ヤクーツクのトイレ大論争は、やがて世界のユニークなトイレへと話題が飛躍します。例えば、著者が1か月間グレートバリアリーフを北上した時の体験談。

船の排水口から巨大な海に投げ出されていく己の分身が、孵化したばかりのウミガメの姿と重なり、〈がんばれよ〉と声を掛けたくなった……とか。

はたまた、オクレンコも負けじと、カリマンタンの水上レストランで川エビを食べ、裏手にある水上トイレで用を足した時のエピソードを披露。

自分の落下物めがけてさっき食べたのと同じ種類の川エビが群がる様子をまじまじと眺めてしまったという話から、シナメンスキーと愉快な仲間たちは健全な食物連鎖、曰く〈美しい助け合い〉に思いを馳せるのでした……って、何のこっちゃ?

 

ほっとする文章

なお、短編エッセイ集である本書には、これまでに愛用していきた万年筆を歴代の恋人でも紹介するような体裁で綴っていく『万年筆いのち』や、教習所への愚痴が止まらない『自動車たいへん記』などを収録。おぞましいトイレの話は表題作のみなので、ご安心ください。

何にせよ、椎名誠さんのエッセイを読むとほっとします。自虐はするけど、他人は虐げない。せいぜいちょっぴり皮肉を言うのが関の山です。しかも、根底には絶対的なユーモアが鎮座し、皮肉パートを読んでいても嫌な気分にはなりません。

脱帽レヴェルの素晴らしいくだらなさを湛えた『ロシアにおけるニタリノフの便座について』を再読し、こういう殺伐としたニュースで溢れるいま、私には椎名さん的な心の余裕ユーモアが必要だな~としみじみ思いました。

※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。

 

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