FAR-OUT ~日本脱出できるかな?~

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大竹昭子『バリの魂、バリの夢』|読書旅vol.29

2022年になりました。新たな年を迎えた日くらいピュアな気持ちで初心に返ろうと思い、大竹昭子さんの『バリの魂、バリの夢』(講談社)をピックアップします。

なぜこの本が初心なのか。私が東南アジアにどっぷりハマるきっかけとなったのは、大学時代に体験した10日間のバリ滞在です。

帰国後もバリの魔法はまったく解けず、アラック(ココナッツの焼酎)と一番相性の良い割りものをひたすら探究。はたまた、かなりの頻度で白米にサンバルソースを掛けて食べては、家族や友達に失笑されていました。

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その時期にバリ関連のCDも片端からチェックし、とりわけ『バリの魂、バリの夢』(講談社)は繰り返し読み耽った1冊です。何なら、就職して以降も折に触れて本棚から引っ張り出し、〈いつかバリに住んでやる!〉と自分を奮い立たせていましたっけ。

 

私が求めるすべてを備えた島

私にとってバリは初恋。この島にはもあってもあって、少々治安の悪い夜遊びスポットもあって、温暖で、その土地のカルチャーがしっかり残っていて、ご飯が美味しくて、物価が安くて、高級リゾートでリッチな気分を満喫するもよし、ロスメン(格安宿)に泊まってワイワイするもよし……と、私が求めるすべてを備えていたんです。

ついでに、島1周が約400kmと簡単に巡れない規模感もリピートしたくなるポイント。言ってしまえば、ガラムの匂い、そこら中に置かれたお供え物、さらにはオージーがドンチャン騒ぎしている深夜のクタレギャンにさえもキュンキュンしていました。恋は盲目。重症ですね。

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つまるところ、思いっきり観光地化された側面伝統を大切に守り続ける側面が、肌感覚3対7前後の素晴らしいバランスで保たれている点こそ、バリが他のリゾート・アイランドとは一線を画す所以だと思っています。

さて、名作の誉れ高い86年の『バリ島 不思議の王国を行く』に書き下ろしパートを加えて98年に文庫化された『バリの魂、バリの夢』は、土着の文化にスポットを当てた作品。バリ独自の複雑なや、それに合わせて取り仕切られる祝祭音楽舞踏美術、農村部の暮らしぶり食べ物についてなどなどが書かれています。

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すべての営みが信仰と密接に繋がっていて、島民たちが己の文化に高い誇りを抱いている様子にウットリ。外から来る人たちに対してオープンでありながら、決してへりくだることのないバリの人々――その凛とした気高さは、私も大いに見習いたいものです。

 歴史と伝説が隣りあい、交錯しあい、どんな奇想天外な物語も素直に信じられてしまうのである。

例えばブラック・マジックひとつを取っても、自分の性格上、他の場所だったら聞き流しかねませんが、不思議とバリでは〈十分あり得るよな~〉とあっさり納得。

それもこれもバリ人が樹木など、島を形成するすべてを崇め、バリ・ヒンドゥーの教えに従って代々命を繋いできたから。島民たちが生み出す空気なくして、バリは神々の宿る島たり得ないでしょう。

 

バリ・ヒンドゥーの魅力

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信仰心が薄く、どちらかと言うと宗教自体にやや懐疑的な私も、バリ・ヒンドゥーの世界観はずっと好きでした。日本古来の八百万神と考え方が似ている部分も多く、親しみやすかったというのもたぶんありつつ、ウブドネカ美術館で神話をモチーフにした数々の絵画を見た時に、めちゃくちゃ悪そうだったり、頼りなかったり、スケベそうな神様がけっこうな割合で混ざっていてビックリしたんですよね。

神様とて完璧じゃなく、不完全だから愛おしいというか。スヌーピー好きの私としては、揃いも揃って欠点だらけなPEANUTSの登場キャラクターと重ね、偶像化されたバリの神々を眺めています。

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いやいや、コミックを比較対象に挙げるなんて不謹慎でスミマセン。私のよくわからない感想よりも、人類の守護神である聖獣バロンと島に疫病や飢饉をもたらす魔女ランダの舞踏劇『チャロナラン』に関する大竹さんの解説を読んでください。以下の文章に、バリ人の根底に流れる考え方が明確に表れている気がします。

(『チャロナラン』は)一年に一度、厄払いのために村の寺院で行われるものだが、ユニークなのは善が悪を滅ぼすのでも、悪が善に君臨するのでもなく、二つが終わりなき戦いをつづけることである。バリ人は二つの相対する力のぶつかり合いにエネルギーの源泉があることを知っているのだ。

悪を邪険にするとか、悪が改心して善に許しを乞うとか、そういった勧善懲悪の世界ではなく、善と悪も、生と死も、対極にあるものが拮抗し、共存する精神世界。この懐深さがバリ人の強さであり、それがそのままバリ島から受ける多様な魅力にも繋がっているように思えてなりません。

 

行くつく場所としてのバリ

ローカルの話のみならず、この地に定住した外国人とのやりとりも素敵です。なかでもウブドへ移り住んだインテリア・デザイナーのこの言葉。

バリは変わったと言われれば、確かに変わったと思う。だって考えてみて。年間百万人以上の観光客が押し寄せれば変わらないほうが不思議よ。でも、だからといってバリから希望が失われたわけじゃないわ。いまは急激な観光化によって特に若い人たちが混乱しているけど、これは長くはつづかないと思う。魂を強く保っていられるうちはバリの社会は大丈夫よ。西洋社会ではそれが崩れて自然や子供への慈しみが失われ、社会も自然も破壊されたけど、バランスを保つこと、調和を見出すことがバリの文化だから、簡単には傾かないはずよ。

90年代に入って急速なリゾート開発が進んだバリ。当然の如く観光地化をよしとしない声が内外から多数上がり、私が行きはじめた時代もまだまだその論争は続いていました。

しかし、時代の変化と共に失われてしまうものはそこまでの運命だと、私は常にどこかで思っていて、その上で、自然や神と共に生きるバリのカルチャーは今後も引き継がれていくと信じています。バリ人バリ文化はそんなに脆弱じゃない。

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ツレの知り合いで定期的にバリへサーフィンしに行くご家族がいます。その旦那さんが地元っ子から聞いた話では、コロナ禍で市街地の風紀が乱れているのだとか。パンデミック以前はバリ全体の3分の2の収入を観光産業が担っていただけに、完全失業率もそうとう増えているのは想像に難くありません。

あまり軽々しく言うべきではないですけど、それでもバリは大丈夫。コロナがもたらした変化とも逞しく調和し、これからもバリはバリでしか味わえない魅力を放ち続けるはずです。

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ちなみに、若かりし日に抱いた〈いつかバリに住んでやる!〉という気持ちは、いまなおキープしています。でも実行に移す日はもうちょっと先。

「行くつく場所」としてバリほど相応しい土地はないだろう。ここにいると旅をしつづける必然性を誰もが失うのではないかとふと思った。

著者の言葉通り、私もバリを行くつく場所だと思っています。そこに到達する前にいろいろな土地を見て回り、人生の終盤をバリで過ごすのが私の目指しているゴールです……と、新年らしく人生の抱負なんかも付け加えてみました。

間もなくGo Toトラベルが再開される模様ですし、海外でも外国人観光客を受け入れる国が増えてきました。そろそろ世界がまた動き出すのかな。2022年はいったいどんな年になるのでしょうか。何にせよ、焦らずのんびり目の前の状況を楽しんでいきたいと考えています。

※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著とは直接関係ありません。

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