今回は大好きなヴェトナムにまつわる書籍をピックアップしてみました。1995年刊行の、その名も『ヴェトナムディープウォッチ』(徳間書店)。時はアメリカによる経済制裁が解除された直後。国全体が大きく変わろうとしていたこの時期に、スーパーカブでヴェトナムを縦断した旅の記録です。
カブに同乗した、刑務所ルポやヴェトナム関連の作品で知られる外山ひとみさんの写真も相俟って、当時の空気感や南と北との風土の違いが浮き彫りになる1冊。
ちなみに、著者の臣永正廣さんについては存じ上げず、ネットで調べてみたところ現職の西成区長さんでした。区のホームページにそれらしき文言はなく、最初は同姓同名の別人かと思ったのですが、出身地も生年月日も完全一致。
文庫本のそでに掲載された写真に何となく面影があり、ネチネチ画像検索をしてみると、数年前のトーク・イヴェントのフライヤーに〈著書に『ベトナムから来たニンちゃん』『ヴェトナムディープウォッチ』など〉の一文が! ビンゴです。
臣永さんはもともとフリー・ジャーナリストとして『週刊朝日』『週刊文春』『週刊新潮』に寄稿。政治、難民、歌舞伎町の風俗やヤクザ他、さまざまなテーマを扱っていたとか。本著の端々から社会問題への意識の高さが窺えるのも、妙に納得してしまいました。
変わらないヴェトナム
縦に長く伸びるヴェトナムの国土面積はほぼ日本と同じながら、そのうちの4分の3は山と丘。95年当時の人口は約7100万人(現在は約9700万人)というから、平野部はおのずと過密状態になります。
海岸線に沿って南北を結ぶ国道1号線を辿れば、この国の輪郭が見えてくるのではないか――そうした閃きが、筆者をディープウォッチな旅へと誘うことに。長距離バスではなく、あえて原付を移動手段に選んだ点もヴェトナムっぽくて素敵です。本編の中には、ヴェトナム人のバイク作法に関するこんな記述がありました。
運転が自分本位でとても荒っぽい。交差点の信号待ちでも、バイクも自転車も停止線より大きく前に出る。そうなると信号が青に変わっても見えない。後続のバイクにクラクションを鳴らされたり、煽られたりしてやっと気付いてスタートする。だから、結局は停止線を越えて前に出ていても、スタートはかえって遅くなってしまうだけなのだ。知人のヴェトナム人は苦笑いしながらこう言った。「みんなわかっているんです。でも、やっぱり前に出てしまうのがヴェトナム人なんです」。
これこれ。交差点もセンターラインもお構いなしで、ラッシュ時には団子状態。朝夕に出動する警察官の交通整理すら何の意味もありません。きちんと秩序を持ってみんなが運転したら、だいぶ渋滞は緩和されるはずなのに……。〈勤勉で、おっとりして、優しい〉とよく言われるヴェトナム人の気質も、ハンドルを握った時に限っては大違い。この豹変ぶりがいつも不思議で仕方なかったです。
そんなヴェトナム都市部の名物とも言えるカオスな道路状況が、カブ旅の出発点であるホーチミンの排気ガス塗れな空気と共に甦ってきました。ベンタイン市場のワチャワチャ感や、4区やチョロンをはじめとするスリ多発エリアの治安の悪さは、本著が書かれた25年前からさほど変化していない印象です。
臣永さんの言葉をお借りすると、ホーチミンは「猥雑で、いい加減で、すれっかしで、イカサマで、下品で、チンケで、不潔なのだが、だんだんとこの街が好きになってくる」。若かりし頃の区長の口の悪さはさておき、ホーチミン好きの多くがこの1文に共感するのではないでしょうか。
私が共感したのは、いまも変わらないホーチミンの様子だけじゃありません。中部のとある田舎での早朝。一斉に鳴きはじめるニワトリの声で目が覚め、漆黒の闇から次第に空が藍色に変わっていく様を眺めていたという臣永さん。
同じ経験を私とツレもしましたっけ。ニワトリが夜明け前に目を覚ますことも、そして示し合わせたように毎朝決まった時間に鳴くことも、その鳴き声が数匹群がると信じられないくらいうるさいことも、ニワトリの中には鳴き方のヘタクソな子がいることも、私はヴェトナムで知りました。
もっとも、どんな環境でも眠れる私はニワトリの鳴き声を子守歌に平気で2度寝。片や、毎日ニワトリと同時刻に動き出し、日の出前のローカル市場を見学していたツレ。まだ薄暗い中を忙しなく働くヴェトナム人女性と、意地でもベッドから起き上がらない怠惰な私を見比べて、めちゃくちゃ呆れられた記憶があります。
本書でも再三書かれている通り、ヴェトナムの女性は本当に働き者。〈男どもは何をやっているんだ!?〉と憤るレヴェルです(私が言えた義理じゃない)。女性たちがせっせと働く姿もまた、やたら元気な朝のニワトリと合わせて、この国の変わらぬ風景だと思います。
変わりゆくヴェトナム
とはいえ、25年前に発表された旅行記。この間にヴェトナムは経済的に急成長したわけで、当然いまではほぼ見られなくなったと思しき光景もたくさん出てきます。
例えばパラソルの土台に戦闘機の車輪が使われていたこと。著者はこれをミトーやバクリエウ、カントーやロンスエン他、メコンデルタ地帯で頻繁に目撃したらしく、「いったいどれだけの航空機が落下すれば、それだけの量が供給できるのだろうか」と書かれています。
しかし、少なくとも私が訪れた時のカントーに戦闘機の車輪はありませんでした。いまなお戦争史跡はヴェトナム各地に数多く残っているものの、そこらへんの船着き場やカフェで、通りすがりのツーリストが戦争の爪痕を感じる機会は稀なんじゃないかと(記憶違いだったらゴメンナサイ)。
北部ではかなりの割合で男性がヴェトコン帽を被っていたとか、ハノイから国境の街ランソンへ続く道がまだ舗装されていなかったとか(中国軍の戦車を入れなくするため)――本著が書かれたほんの数年前、つまり日本がバブル景気に湧いていた頃もヴェトナムはカンボジアに攻め込み、中国と緊張状態にあったんですもんね。
高度経済成長期のヴェトナムしか見ていない私にとって、『ヴェトナムディープウォッチ』にはドキッとする記述や写真が多数。もちろん、日本でも一定の年齢層がヴェトナムに暗いイメージを抱いているのも認識しているつもりです。
身近な人物だと、母親がまさにそれ。若い頃、看護師としてどこかのNPO団体に帯同し、この地を縦断した母は、何十年経ったいまもヴェトナムと言えば貧しくて戦争孤児が多いと思い込んでいるフシがあります。それが100%間違っているとは言いませんし、彼女が体験したヴェトナムは確かにそうだったのでしょう。
自分の目で見た現在のヴェトナムと、書籍や映画を通じて、もしくは母親の話を通じて感じる20世紀のヴェトナムとの間にはあまりにも大きなギャップがあり、うまく呑み込めないというか、頭の中がバグってしまうというか。
でも、『ヴェトナムディープウォッチ』を読んで改めて肝に銘じたのは、知ったかぶりして安っぽい同情を向けるのはやめようと。あの陽気で人懐っこいヴェトナム人が、そんなことをされて喜ぶとはとても思えませんしね。
その上で、自分なりに同地の歴史背景を学ぶ姿勢はちゃんとキープし、もっとディープにヴェトナム文化を好きになっていきたいな~なんて考えている最中です。
※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著と直接関係はありません。
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