前回ご紹介した『恋する旅女、世界をゆく――29歳、会社を辞めて旅に出た』(2014年/幻冬舎)の中で、以下の一節にドキッとしました。
(旅行中は)これまで活動を遠慮していたような五感の一つひとつが動き出していくような気がしてくる。目にする喜び、耳にする喜び、鼻で嗅ぐ喜び、触れる喜び、味わう喜び……。それらが、小さくもしだいに大きな実感としてやってくる。
確かに旅先では五感がフル稼働する一方、普段はどうか。ただ単に私が日常生活の中で五感の皆様に活動を遠慮してもらっていただけじゃないのか――そんなふうに考えてしまったのです。
そこで、自分自身に対する反省の意味も込めて今回取り上げようと思ったのが、phaさんの『どこでもいいからどこかへ行きたい』(幻冬舎)。2017年に刊行された『ひきこもらない』が、2020年2月の文庫化に際してタイトル変更。
図らずも文庫化直後に日本を襲ったコロナ禍のムードともハマっていますし、何よりphaさんの良い意味で面倒臭そうな人柄が滲み出ていて、私はこっちのタイトルのほうが俄然好きです。
何も起こらない旅行本
ニートになるための手引書『ニートの歩き方』(技術評論社/2012年)で鮮烈な作家デビューを果たして以来、イマイチ社会に馴染めない人たちの心をゆるゆると代弁し、カリスマ的な人気を誇ってきたphaさん。
『持たない幸福論』(幻冬舎/2015年)をはじめとする彼の著書を読むたびに、自分が見落としてきたあれこれに気付かされるというか、〈本当の豊かさって何だろう?〉とか考えずにはいられません(こうやって言葉にすると途端に薄っぺらくなってしまいますけどね)。本稿の主役であるphaさん流の旅の作法を詰め込んだ『どこでもいいからどこかへ行きたい』も然り。
予めお断りしておくと、本書では見事なほど何も起こりません。何も起こらないどころか、めちゃくちゃシケています(褒め言葉)。あとがきには「孤独のグルメの旅版をこの本でやりたかった」と書かれていて、まさにその狙い通りといった趣。
高速バスや鈍行列車にふらっと乗って遠出し、旅先での食事は牛丼やハンバーガーのチェーン店(もしくはコンビニ弁当)、観光名所にも一切寄りません。「その街ならではの特色などはないほうがいい。どこにでもある店ばかりがあってほしい」と綴るphaさんは、用もなく地方都市へ出掛けてはありふれた現代日本の景色を眺め、そこで暮らす人々の行動パターンを妄想。
また、知らない街のビジネスホテルに泊まり、部屋で引きこもるのも好きだとか。場所が変われど、やっていることそのものは自宅にいる時とほぼ同じご様子です。
島に行きたいと思い立つも、「一人で特に観光地でもない島に行った場合、よそものが他に全然いなくてすごく目立ってしまって、地元の人たちに“こんな何もない島に一人で何しに来たんだろう”とか“自殺や犯罪をするつもりじゃないだろうか”みたいな目で見られるんじゃないかというのが怖かった」から、アート好きでもないのに観光客の多い香川県の直島行きを決断。
はたまた、フェリーのメンテ期間に合わせて3週間も島から出られないというシチュエーションにただ興味を持ち、小笠原ではひたすら〈何もしない〉をやり抜いています。本のタイトルに偽りなく、行き先へのこだわりはゼロ。
〈それのどこが楽しいの?〉なんて無粋な質問はグッと腹に納めてください。当人は本文中で「自分が旅というものに求めているのは、普段と違う環境に身を置くことによって自分の普段の暮らしを相対化すること」と明言。これを言い切れるのが凄いです。
旅があるから日常が楽しくなるし、日常があるから旅も楽しい――私はこう意訳し、勝手に共感しています。もっとも、phaさん流儀の旅を実践したいかどうかは別の話。そもそも仮に自分が小笠原諸島へ行っても、やれアイランド・ホッピングだ、やれトレッキングだと、ここぞとばかりに張り切るタイプなので、到底phaさんの境地には辿り着けそうにありません。
日常生活の中に見出す〈旅〉の楽しみ
少し前にマイアミ大学の先生が『Nature Neuroscience』誌で〈移動距離が長い人ほど幸福度が高い〉みたいな論文を発表し、話題になっていました。とはいえ、現在はコロナ禍の真っ只中。国や自治体から移動の自粛が呼び掛けられています。
旅行は好きでも、飛行機/船/バス/鉄道などなど、移動そのものにはまるで興味がなく(むしろ嫌いかも)、ドラえもんのひみつ道具で欲しいのはどこでもドア1択の私ですら、何でもいいから乗り物に乗りたいと思っている今日この頃。こういう状況下で幸福度を高めるにはどうしたらいいか。その答えを解く鍵も本著の端々に隠れている気がします。
例えばサウナ好きの著者は、ある日サウナ→水風呂→サウナ→水風呂と交互に入りながら循環的時間の観念に思いを馳せ、それを自分の人生観と照らし合わせています。流石は京大卒の超インテリ。発想がぶっ飛んでいます。
まあ、ここまでの壮大な気付きはなかなか難しいものの、それこそ目的なく地元をゆっくり歩いてみると、〈こんな場所にこんな時代遅れのコンドーム自販機はあったんだ!〉とか、いろいろな驚きと発見に出会えるわけで、〈私の生活圏内に刺激なんて何もない〉と勝手に決めつけていたのではあまりにももったいない。
振り返ってみれば、1回目の緊急事態宣言が出た2020年春からしばらくの間は、私自身、それなりにステイホームをエンジョイしていました。こんな書き方をするのは不謹慎ですが、前代未聞の有事感にゾクゾクしていたんですよね。
他人から〈●●をやりなさい!〉と指図されるのは大嫌いで、協調性は著しく低いくせして、自分で決めたルールには従順な私。〈これはできる限り外に出ない、どうしても外出する場合はマスクと手洗いをするというルールの新しいゲームだ〉と自発的に考えた瞬間、頭のスイッチが完全に切り替わったことを覚えています。
毎食家で食べる行為自体が凄く新鮮だったし、自室で昔の写真を整理したり、パソコンにCDを取り込んでデータ化したり、読書に耽ったり、万全のコンディションで欧州サッカーをリアタイ視聴するべく昼夜を大逆転させたり、海外ドラマを一気見したり、〈引きこもりバンザイ!〉な日々を過ごしていました。
しかし、自粛ゲームにもすっかり慣れてしまった現在。冒頭にも書いた通り〈ただ単に私が日常生活の中で五感の皆様に活動を遠慮してもらっていたのではないか〉と疑問を持ったタイミングで、本作の感想文を書き残すに至ったのは、このゲームを次のステージに進めるヒントが欲しかったから……っていう気持ちも少なからずあったと思います。
いますぐに海外旅行はできなくても、近所にだって知らない場所はたくさん存在し、旅で得られるものと同種のワクワク感だってきっと味わえるはず。何事も考え方次第です。気を抜くとコロナ自粛の不平不満を溢しかねない私にとって、そんな当たり前の事実を思い出させてくれた『どこでもいいからどこかへ行きたい』。今回はいつにも増して有意義な読書体験となりました。
※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著と直接関係はありません。
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