前回の反動もあって、今回は明るい本を選んでみました。2014年にイースト・プレスから刊行され、2017年に幻冬舎から文庫化された川内有緒さんの『パリの国連で夢を食う』。
日本の某大学を卒業後にジョージタウン大学で修士号を取得した著者の川内さんは、アメリカのコンサル会社と日本のシンクタンクに勤めたのち、パリの国連機関に勤務し、ノンフィクション作家へ転身した異色のキャリアを持ち方です。
出身校(日本の)が学科まで私と同じだったことに驚きつつ、それよりもビックリしたのが学問の分野も全然違えば、決して偏差値も高くない同学科から国連職員が出ていた事実。夢があります。
自粛生活が長引くにつれて、将来への夢や希望が何となくぼやけてしまった私。本書を通じて花の都パリを妄想しながら、夢見ることで得られるワクワク感や心地良い焦燥感をいま一度思い出し、自分に喝を入れている最中です。
謎に満ちた国連の内情
仕事に忙殺される日々の中、ふと見かけた国連の求人ポストへ応募してみるも、川内さんが書類審査の合格通知を受けたのはそれから2年後。2年も経てば取り巻く環境もだいぶ変わっていたはずです。
それでも安定した日本での暮らしを手放し、次のアクションを起こした勇気とフットワークの軽さは、以降も5年半に渡るパリ生活の随所で発揮。何せ倍率2000倍で勝ち取った国連職員の座を最後にはあっさり捨てちゃうんですから、読んでいて本当にスカッとします。
国連職員は修士号以上の学位を持っているのが当たり前(※一応は学士でも大丈夫と言われていますけども……)。言語にしたって英語orフランス語が堪能なら表向きOKとはいえ、現実的には国連の公用語(英語、フランス語、ロシア語、スペイン語、アラビア語、中国語)のうち2言語は使いこなせないとダメみたいな話を聞いたことがあります。
言わずもがな、配属先の機関に合わせた専門知識だって備えていないといけません。それに加えて国連には割り当て制度が存在し、各国から何人を正規雇用するか決まっているとか。だからどんなに優秀な人材でも、日本人枠に空きが出ない限り、国連では働けないらしいです(※文科省や外務省から出向するパターンは別の採用枠)。
つまり国連とは、超エリートという大前提があった上で、さらに超強運の持ち主でなければ入れない組織。超凡人の私は想像しただけで気が遠くなります。
そんないろいろ持っているスーパー集団の内部を覗き見できる本著。理想と現実のギャップに戸惑う様子も含め、パリでの国連ライフをサヴァイヴしていく著者の姿が鮮やかに描かれていきます。
「どこの組織でも非合理的な縦割りシステムや、しょうもない矛盾が山ほど存在するんだな~」と天下の国連様がグッと身近に感じられる場面もある一方、世界中から集結したキャラの濃い同僚の顔ぶれはやはり超巨大国際機関ならでは。
例えば2006年ドイツのワールドカップ開催期間。日本戦の時は日本人の同僚とパブへ出掛け、フランス代表の試合はみんなで観戦、イングランド戦はイングランド人と……といった具合で、毎夜大忙し。
しかも、日中はオフィス内の大会議室がパブリックビューイング会場として職員に開放され、仕事に支障が出ない範囲でサッカー観戦が許可されていたんですって。本当に羨ましい限りです。
当時の国連事務総長、コフィ・アナン氏は『国連はなぜワールドカップに嫉妬するのか』というコラムを発表し、『パリの国連で夢を食う』の中でもその内容が一部紹介されていました。
加盟国の数は国連を上回るFIFA。街中のいたる場所でサッカー議論が交わされる光景を見て、アナン元事務総長は「国連もFIFAのような存在になりたい」と同コラムを締め括っています。
実際、川内さんも「こんなに職員が一丸となることはなかった」とし、「サッカーは国境を超え、年代を超え、すべてを超え、みんなの思考を支配していた」とW杯中の様子を回想。おそらく〈仕事に支障が出ない範囲で〉という条件なんぞ、あってないものだったのでしょう。
もちろんW杯期間は特例中の特例。まったく異なるバックグラウンドを持った人間が同じ目標に向かって動くなんて、もはや奇跡のようにも思えてきます。本の中では川内さんが物凄く常識人に映り、いつの間にか〈○○人の上司め~!〉と著者に肩入れして読み進めている自分がいました。
でも、たぶんそういう話じゃないんですよね。終盤に登場する以下の文言にハッとさせられました。
私が感じる〈変わった人〉は、あくまで日本の物差しで言う〈変わった人〉だった。もしかしたら、彼らはただ祖国や自分の宗教の規範に沿って行動しているだけなのかもしれない。だから、日本の常識に照らし合わせて行動する私も、彼らから見たら、十分に変わった人なのかも。
自分の価値観を変えるのは難しいし、必ずしもそうしなきゃいけないとは思わないけど、自分の価値観を相手に押し付けるのはいかがなものか。川内さんの文章を通して疑似体験した多国籍な職場から、互いに尊重し合うことの大切さを教えられた気がします。
パリの魔法
さて、なかなか伺い知れない国連の裏側と合わせて、パリの暮らしぶりや街の雰囲気、そこで夢を掴もうと奮起する日本人の話題も充実。パリでがんばる日本人については、川内さんのデビュー作『パリでメシを食う。』(2010年/幻冬舎)にたっぷり収録されているらしく、近いうちそちらも読んでみたいと思っています。
で、「旅気分に浸れる本を紹介しよう」なるコンセプトのもと、ここ最近は旅行記事から読書記事に切り替えて一応更新を続けてきた当ブログ的には、国連内部での異文化交流のみならず、パリの空気についても触れておきたいところ。
大学時代の友人のツテで伝説のアトリエ、59リヴォリに出入しはじめた川内さん。そもそも廃墟だったビルを不法占拠してギャラリーに仕立て、法廷闘争の末に国からギャラリーを構える権利が与えられたって、冷静に考えるととんでもない話ですよね。同じ経緯で名所化したレ・フリゴ然り、つくづくパリはアートに寛大な街だな~と感じます。流石は芸術の都。
アート絡みでもう1つ、音楽の日(Fête de la Musique)にまつわるエピソードも素敵でした。毎年夏至の日にパリのどこでもプロ/アマ問わず音楽を演奏できるこのイヴェントのスピリットはJust Fun。
上からも横からもいろんな楽器の音が重なって、酔っ払いは叫び、男と女は抱き合い、ゴミが舞い、もう街中がカオス。(中略)近隣の迷惑も、明日の朝のことも考えない。どこでもここでも、ズンチャカ、ドンチャカである。
自由でいいな。59リヴォリにしても音楽の日にしても、パリっ子はちょっとしたアイデアで人生を豊かにするコツを心得ているようで、私も見倣いたいです。
その他にも、自由奔放で恋愛気質なパリっ子ならではの洒落た小ネタがあちらこちらに登場。乾杯の時に相手の目を見なければ7年間ひどいセックスしかできないと信じている、などなど。
パリはとても人間的な街。多くの場所に歩いていけて、人々は路上で議論したり、喧嘩したり、歌ったりしている。日が長くなるにつれ、通りにはギターを抱えたストリート・ミュージシャン、セーヌ川沿いには日光浴やピクニックをする人が増えた。いつも何かが路上で起こっている。
パリが多くの人を魅了してやまない所以は、景観の美しさはもとより、ここに渦巻く人間味溢れた生のエネルギーに他なりません。
こうしたパリの自由な空気にも後押しされ、川内さんは国連を離れて作家の道を進んでいくのですが、そのあたりの詳細はぜひ本編で味わってみてください。決断に至る心模様に共感したり、決めた後の行動の速さに感動し、勇気をもらったり……。現在進行形で夢を追っている人には、より心に響く1冊だと思います。
ちなみに、『パリの国連で夢を食う』のタイトルは高野秀行さんが命名。川内さんは高野さんの大ファンで、高野さんが「国連の内情が知りたいな」とツイートしているのを見かけ、本著の元となる雑誌『季刊レポ』に寄稿した記事を送り、それが書籍化されるきっかけになったというから、いやはや……。やっぱりチャンスの女神が微笑むのは、常にアクションを起こしている人ってわけですね。
※記事内の画像はフリー素材を使用しています。本著と直接関係はありません。
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